「2046」とレスリー・チャン

完全に読み間違えていた。

レスリー・チャンという俳優の作品をほぼコンプしてから見るとまるで違う。

これ、レスリーの気配が濃厚すぎる。「木村拓哉」で売ろうとしても興行的に失敗するわけだ。だって、本作は「レスリー」の作品をほぼコンプして、俳優としてのレスリー・チャンを愛した人のための作品なのだから。

チャン・ツィイーのところとか、レスリー・チャンを感じないシーンもたくさんあるのだが、それはレスリーの生前から「花様年華」の続編としてスタートしていたからだ。レスリー没後にシーンが追加され、完成にこぎついた。

2046。そこはなくした記憶を見つけにいくところだ。1997年。香港は中国に返還された。50年間の一国二制度・自治が保証されているが、それは2046年に期限を迎えてしまう。2046年。香港は死ぬのか。それとも2047年に希望はあるのか。

2046にチャウ(トニー・レオン)はこだわる。2046号室でカリーナは死んだ。それは「香港らしさ」の死だ。それでも、トニーは2047という部屋にいる。そこは愛に絶望した男の荒んだ生活があった。香港は物理的に存在する。しかし、すでに死んでいる。それでも、トニーはフェイ・ウォンに国際電話をかけさせてやり、木村拓哉との関係を陰ながら支援する。香港は死ぬ。それでもそこには生活があり、なんだかんだ希望が残っているのかもしれない。

レスリーの気配

トニー・レオン

「花様年華」と本作ではトニー・レオンは同じ役を演じるのに、キャラクターがまるで違う。マギーへのぎこちない愛の「花様年華」と、愛を失ったのちの人では人が変わってしまう。でも、本作ではそうではない。トニー・レオンが演じなければならなかったのは「レスリー・チャン」だった。確かに「花様年華」の続編である。しかし、「欲望の翼」の、そして「楽園の瑕」の続編でもあった。それと、ラブシーンが性急な感じなのもレスリーそっくりだ。トニーのラブシーンって、どちらかというとねっとりじゃない?レスリーは過剰で性急なのが多かったのに。

チャン・ツィイーを拒むためにツィイーを買い、傷付いたツィイーがトニーを買うシーンなんて、(実際にはなかったけれど)「楽園の瑕」の欧陽鋒や「欲望の翼」のヨディがしそうだと思った。ね、レスリーが演じているのが自然に想像できない?

チャウの心はとっくに壊れているのに、それを厚顔な薄笑いで必死で取り繕う様子は、「楽園の瑕」のラストの欧陽鋒そっくりだ。「カルマ」の特典インタビューを見ていると、レスリーは演技をすることで他人の人生を生きることはできたけれど、「レスリー・チャン」としては生きられなかったのだ、と感じてしまった。そうだ。最晩年のレスリーは近しい人から見ると、本作のチャウ、そして欧陽鋒のように見えたのかもしれない。

カリーナ・ラウ

殺される踊り子の「ミミ=ルル」はカリーナ・ラウ。「死んだ恋人によく似ていると言って、ダンスを教えてくれた」とトニーはカリーナに語る。もちろん、「欲望の翼」のヨディ(レスリー)のことなのだ。あそこのカリーナの表情はまさしく亡き人、ヨディを思い出すものだが、レスリーを重ねただろう。カリーナのシーンを増やしてレスリーを追悼した、というが、それだけのものであるわけはない。終盤のアンドロイドのカリーナもその直前のシーンは「あいつのことを忘れたらどうなの?」と言われる。まさに、「欲望の翼」の正当な続編なのだが、アンドロイドとして泣くカリーナはレスリーのために泣いていたように見える。

チャン・チェン

泥酔したカリーナを刺したのはチャン・チェン。ルルが呼んだのは「足のない小鳥」。ルル(ミミ)の血の飛び散った写真はチャン・チェンとカリーナのものだが、枠に入れられ、ガラスが割れている写真の男の目がレスリーの目のようだ。そののちに流れる曲の雰囲気は「欲望の翼」の曲だ。ああ、チャン・チェンもレスリーを演じなければならなかった。

チャン・ツィイー

娼婦のチャン・ツィイーの仕事準備の後ろ姿が、あれ、「欲望の翼」のレスリーが軽く踊る様子そのままじゃない。トニーを見る目の小悪魔ぶり。ああ、この人も演じたのはレスリー・チャンだったか。確かにチャン・ツイィーも魔性だ。ただし、今回トニーは何度関係を持とうがチャン・ツィイーを愛さない。「ブエノスアイレス」でも結局捨てられたのは小悪魔のレスリーだった。小悪魔は愛する人には愛されない。

同時に、チャン・ツィイーとトニー・レオンは「欲望の翼」のマギーとレスリー、カリーナとレスリーそっくりでもある。マギーに結婚を迫られて断るレスリー、カリーナに追いかけられて拒絶するレスリー。今回のトニーは誰かに深入り出来ないヨディそのままだった。「花様年華」のチャウという人は、静かに深入りしていく人だったのに。

コン・リー

シンガポールの「黒蜘蛛」はコン・リー。本作でもちらっとしか出ないのに冒頭での崩れた口紅がとにかく強烈だ。終盤の「欲望の翼」の曲とともに舞台がシンガポールに戻ってからは、「黒蜘蛛」の名前がスー・リーチェン(「花様年華」のマギーと同じ)とわかる。やはり、一緒に行かない女だ。ああいう人が本名を名乗るとは思えない。ひょっとしたら、東南アジアでヨディが会った女で、ヨディにその名前を与えられたのかもしれない。

マギーの「スー・リーチェン」にせよ、カリーナの「ミミ=ルル」にせよ、トニーの「チャウ」は会ったことのないヨディの幻像を追いかけていた。それは本作が、「レスリー・チャン」という俳優をその人の映像を出すことなく、その気配を感じさせることと入れ子になっている。

木村拓哉

木村拓哉も求められたのは「レスリー」だった。「俺と一緒に行かないか」あのセリフは「花様年華」のトニーだが、「楽園の瑕」のレスリーのセリフでもあった。小説「2046」でヤクザな男に「一緒に行こう」と言われるが、あれは「欲望の翼」のレスリーとアンディのようにも見える。しかし、木村拓哉はレスリーから一歩先に進む。「一緒に行かないか」の答えはなかった女をもう一度追い、取り戻そうとする。「欲望の翼」では女に一緒に来られることを拒み、「楽園の瑕」ではマギーに一緒に行くことを拒まれ、「ブエノスアイレス」では一人おいてけぼりにされてたレスリーから、木村拓哉は一歩だけ前進するのだ。それは「2046」が希望でもあるからだ。

フェイ・ウォン

不思議ちゃん、フェイ・ウォンは「いいですよ。わかりました。行ってもいいかな。行きますよ」と日本語の練習をする。そのセリフは「花様年華」でトニーがマギー・チャンに言って欲しかった言葉でもあった。初見ではそちらに気を取られていたのだが、木村拓哉の言う「俺と一緒に行かないか」というセリフは、「花様年華」でトニーが言っただけではなく、「楽園の瑕」でレスリーがマギーに言っていた言葉だった。王家衛がレスリーを出演させた物語は、いずれもレスリーの役にとってはハッピーエンドではなかった。亡きレスリーを幸せにしてやりたかったのは王家衛本人だったのかもしれない。

香港

2046。2046年に香港は明らかに変わってしまう。近年の香港を見れば思う。2046年の前に、香港という都市は死を迎えるのではないか。

私ははんぱなく香港映画を見ている。2010年以降に日本語字幕で見ることができるようになった香港映画で見逃したものはおそらくほとんどない自信がある。2000年代もかなり見てきた。1990年代になると、レスリーもの中心になってしまうのだが。これだけ香港映画を見てくると、レスリー没後、いや、レスリーの全盛期の最後1996年・1997年以降に残るべき作品が本当に少ないことがわかる。「インファナル・アフェア」の後は何があるんだ。「コールド・ウォー」は良かったけれど、「インファナル・アフェア」を超えて残ることができるだろうか。

文化的に香港はすでに死んでいる。レスリー・チャンと共に香港映画は死んだのかもしれない。あとはその遺産で食っている。最後には中国の中に取り込まれていくだけだ。

2046。王家衛は本作で「香港映画は終わった」と宣言した。レスリー・チャンを弔うと同時に、香港映画を追悼したのだ。

その他

これだけ自由に語らせてくれ、病的に、そして自分に都合よく解釈させてくれる映画はなかなかない。王家衛の良さであると同時に、こういう映画は「映画」としては失敗だ。

機能の衰えたアンドロイド達だが、鬱の人のようだった。

童潔は「早熟な少女」で男を誘う。リトル・ツィイーと言われるのに、このときは全然似てない・・・。ツィイーが若いから?

ようやく、マギー・チャンの「ロボット」もちゃんと確認できた。27分目くらいに横たわって、長い首をぎこちなく回していた。

木村拓哉は王家衛作品だけではなく、レスリー・チャン作品をかなり見ていたのではないか。常盤貴子は「星月童話」で自分がファンだったレスリーを相手役に指名した。(キムタクは「ビューティフル・ライフ」の撮影中に「見るといいよー」とか常盤に勧められたのだったら楽しい。ああ、妄想が広がる。)1990年代の日本のドラマの象徴ともいうべき二人だ。木村拓哉は「I come with the rain」にも出ていたし、案外サブカル好みだ。トレンディドラマそのものを馬鹿にするのは構わないのだが、それを作った人達の文化的教養は馬鹿にすべきではないのだ。

特典映像でメイキングとか入ってないのかな・・・。買うか。

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