感想
南米アルゼンチンへやってきた、ウィンとファイ。幾度となく別れを繰り返してきた2人は、ここでも些細な諍いを繰り返し別れてしまう。そして、ファイが働くタンゴ・バーで再会を果たすが…
原題:春光乍洩 Happy Together 1997年
感想
王家衛がレスリー・チャンで撮った最後の作品。
1997年製作とは思えないほどクリアでヴィヴィッドな映像だった。おそらく、デジタルリマスター化したものなのではないだろうか。当初のモノクロ、そしてウィンがけがをしてからのカラー。そしてラストの台北の光。どれもうっとりするほど美しい。
みんな若く、チャン・チェンはかわいいくらい。これが白バラ理髪店になるとはね。相変わらず、レスリー・チャンの色気はわからない。むしろ、線の細そうなトニー・レオンの方が雄度が高いな、と感じた程度。
やはり、ウォン・カーワイ作品に「時間」は共通したテーマのようだ。今回も何度も時計が写った。
「同性愛をテーマにしたが、普遍的な愛の物語」とは私には言えない。「同性愛もの」の色眼鏡を払拭してみてご覧、という意味でも使うことはできない。男であること、女であること、のジェンダーバイアスは、この二人の間には、どうもファイ側に「男であること」の意識があるだけで、ウィン側にはまるでない。それだけでも、ヘテロの物語とは異なってしまう。やはり、同性愛の物語、としか言いようがない。
ウィンは翻弄する小悪魔タイプなのだろう。そのウィンのためにファイは金を横領し、あてもない旅に出た。ひょっとすると、ファイはイグアスの滝でウィンと心中するつもりで旅に出たのかもしれない。ウィンが頼る相手はファイ。しかし、束縛されるのは嫌だ。ウィンから見ると、ファイがコントロールフリークで支配欲が強いから反発してしまうのかもしれない。
謎は二つのこった。
ファイのいう、「ウィンのやり直そう、には二つ意味がある」というのはどういうことなのだろうか。もう一度恋人に戻ろう、が一つ。もう一つは互いに束縛しあおう、なのだろうか。
ファイはどこにウィンのパスポートを隠したのだろうか。あのイグアスの滝が書かれたテーブルランプなのではないかと思うが。どうして、ウィンはテーブルランプを壊さなかったのだろうか。分解するのでも良い。
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2015年の香港で、「楽園の瑕(終極版)」に続いて、ホテルのテレビで見たのがブエノスアイレス。
個人的には写りの悪いテレビで見るならむしろオリジナルの「楽園の瑕」の方が好みだが、見たのは物語がすっきりと整理された「楽園の瑕 終極版」だった。
「楽園の瑕」は撮影が始まってからキャスティングが入れ替わったというのは有名な話だ。「大英雄」にある通り、元々は
欧陽鋒:トニー・レオン
黄薬師:レスリー・チャン
だったのだろう。
レオン・カーフェイの演じる黄薬師はブリジット・リンとカリーナ・ラウの精神や人間関係をぶち壊してしまう。欧陽鋒は結果的にその尻拭いをしてやることになる。
「振り回す男」を演じればレスリー・チャンは天下一品だ。
「ブエノスアイレス」を見ればわかる。トニー・レオンは「振り回される男」「世話をしてやる男」にぴったりじゃないか。
「レスリーが女たちを振り回し、トニーがその尻拭いをしてやる」
これが元々のストーリーだったのではないだろうか。
結局、その物語は進まず、キャスティングを一度シャッフルしなければ「楽園の瑕」という物語は進まなかった。
しかし、「男Aの尻拭いを男Bがする」という物語は残った。なぜ男Bは男Aの尻拭いをしてやるのだろうか。それはそこに愛があるからだ。それが、「ブエノスアイレス」。
そんな気がした。
ブエノスアイレス 摂氏零度
映画『ブエノスアイレス』の撮影風景とカットされたフィルムが交錯するドキュメンタリードラマ。ロケ地をめぐりながら映画『ブエノスアイレス』の世界が甦る!
原題;布宜諾斯艾利斯.攝氏零度 BUENOS AIRES ZERO DEGREE: THE MAKING OF HAPPY TOGETHER 1999年
感想
監督は、クワン・プンリョンとアモス・リー。
台湾人通訳であったり。コーディネーターであったり。関係した人の目を通した「ブエノスアイレス」
さらに、本編では語られなかったチャン(チャン・チェン)の物語と、ファイに恋をした女性の物語、そしてファイとチャンの共通の知人の女性の物語があった。
「ブエノスアイレス」で監督とレスリー・チャンの関係が悪化したせいなのか、トニー・レオンのインタビューはあるが、レスリーのインタビューはないし、レスリーの話はほとんど出てこない。仮に、レスリー死後に作っていたら、変わっただろうな、と思う。
ウォン・カーワイが製作途中にところどころ行き詰まり、そして、撮影したフィルムのうち半分も使われないのは有名な話だ。「ブエノスアイレス」も、ファイは父親が危険な状態にあることを知らされ、父の男の愛人に出会う物語として始まった。しかし、ふたを開ければ、ゲイなのは息子の方だった。
「ブエノスアイレス」で唐突に後半語られる「父」の物語。父親から電話があった設定だったんだね。「帰るべき場所があるから、チャンは気ままに旅を続けられる」らしいが、ファイだって、香港に待っている人はいた。どうやら、父は決してファイを拒絶していたわけではないらしい。では、ウィンには?小悪魔のウィンには結局ファイ以外に誰かいたのだろうか。ファイを訪ねれば、女がいて「死んだ」と言われてみたり。ファイには「これが最初で最後だ。俺がお前と別れるんだ」と言われてみたり。ウィンはファイが自殺未遂をしたことを知っていたのだろうか。
「グランドマスター」では、チャン・チェンの物語「白バラ理髪店」が見たかったのだが、「ブエノスアイレス」でも旅人チャンの物語が見たいな、と思っていた。チャン・チェンのパートはオフショットではなく、使われなかったシーンが大量にあって良かった。でもやはり、再編集して一本「旅人チャンの物語」を作ってくれれば良かったのに、と思う。
「ブエノスアイレス」そのものに対しては、女性キャラクターを排除した編集は正解だった。周囲のことなど見えなくなるほど、束縛しあった二人の物語だったから。
私が見た「ブエノスアイレス」自体はデジタルリマスターしたもののようだが、この「摂氏零度」の方は近くのレンタルショップにずっと置いてあったものだった。だから、クリアな「ブエノスアイレス」に対して、本作の中の未公開映像は画像の粗いものだった。