武侠映画としての「楽園の瑕」「大英雄」

王家衛作品の中で「わけのわからない」映画として名高いのが「楽園の瑕」。むしろ、「楽園の瑕」撮影中に早撮りで作られた「大英雄」の方が興行成績が良く、「楽園の瑕」一本では大赤字になるところを「大英雄」が救ったという笑うに笑えない二作だ。

個人的には妙に忘れられなかったのが「楽園の瑕」。何度もレンタルしてしまうのはこれ。終極版のブルーレイを買おうかしら・・・。「大英雄」は広東語版を買った。香港コメディの傑作だと思う。

何度も見てわかったのは、単独で「楽園の瑕」一本見たってわかるわけがないということだった。たくさん前提条件が必要な作品だった。

前提

原作

まずは原作「射雕英雄伝」

を読むべき。

ついでに、その続きの「神鵰剣俠」

も読めば、「楽園の瑕」で「のちに西毒と北丐は死闘を繰り広げる」のがわかる。ただ2巻目で退場してしまうけれど。

レスリー病患者であれば、原作を読む前に「レスリー・チャン 神鳥英雄伝」「楽園の瑕」「大英雄」を見ると、登場人物のうち四人を脳内でレスリー・チャンにできるのでおすすめである。(楊康(完顔康)・楊過父子、黄薬師、欧陽鋒)

見ておくべき作品

「神鳥英雄伝」のレスリーはとっても可愛い。もう機転がきくけれど少しおぼこい楊過と、ノーブルだけど邪悪な楊康(少しだけ)の演じ分けがうまい。

そして92年「スウォーズマン 女神伝説の章」。いわゆる、「東方不敗」で通じる。
「ブリジット・リン=男装の麗人」となった作品らしい。

そして同じく92年「スウォーズマン 女神復活の章」。続編である。これは見なくてもいい。「楽園の瑕」の撮影風景としてジョイ・ウォンが男装している写真があるが、この「女神復活の章」でジョイ・ウォンが偽の東方不敗として男装している。

ブリジットとレスリーの93年の「キラーウルフ 白髪魔女伝」「白髪魔女伝2」も見ておいても楽しい。

「楽園の瑕」は武侠映画なのか

これらを見てから「楽園の瑕」を見てみる。武侠映画の文脈から本作を見ればなんと写実的で人間的、そして現代的な登場人物なのだろうと思う。誰も空を飛ばず、「終極版」で削られたオープニングのレスリー(指をぱちんとやる技は西毒・欧陽鋒ではなく、東邪・黄薬師のものだけど)以外、珍妙珍奇な技は使わない。

誰かを愛し、愛されたいのに、拒絶さえるのが怖くて自分から拒絶してしまう。
孤独が嫌なのに、孤独でなければ生きていけない。

そんな欧陽鋒なんて、普通の武侠映画の中では主人公たり得ない。

ブリジットは「男装の麗人」を本作でも演じる。しかし先立つ「東方不敗」・「白髪魔女」との違いは大きい。野心的な「東方不敗」、そして、誤解から生じた愛する人への恨みから「魔女」になる「白髪魔女」。それに対して本作では愛を求め、愛に敗れた結果、一人剣の道に入って行く男装の麗人。やはり、普通の武侠映画の登場人物たり得ない。

本作が香港で受け入れられず、海外で評価されたのはここが理由だ。武侠映画ではない。時代劇の形式をとった現代劇だ。そうだ。60年代と北宋末期と何が違うのだろう。60年代も「過去」であることは同じだ。

物語が整理されているのは終極版。

楽園の瑕 終極版

オリジナルは荒削りなのが魅力的。

楽園の瑕

武侠映画としての「大英雄」

「大スターがハチャメチャなことをしているコメディ」なのだが、原作を読み、先立つ先品を見てからだと「大英雄」は「楽園の瑕」とは異なり真っ当な武侠映画であるとわかる。

空を飛び、摩訶不思議な技で相手を倒す。なぜかとある経典を得れば力を得ることができる、とか。わかりやすいキャラクターたちとか。

こうすると、むしろ「大英雄」の方が正統な武侠映画なのがわかると思う。だから、武侠映画全盛時代の香港で本作が受けたのだ。

ハチャメチャなのだが原作の設定をきちんと生かしている。どうして欧陽鋒は殺されたい洪七を殺すことができなかったのか。そして、洪七は自然に攻撃防御をしてしまうのだが、欧陽鋒を(一人では)倒すことはできない。それは二人が西毒と北丐だから。どうして薬師は妹弟子と流し目剣法をするのか。それは古墓派の奥義、楊過と小龍女の玉女素心剣法だから。本当に「大英雄」は正当な武侠映画なのだ。

広東語版

大英雄(広東語版)

実は北京語版の方が尺が長く、広東語版では削られたシーンがいくつかある。

大英雄

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