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中国時代劇の中の一人称・二人称について

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琅琊榜」や「諍い女」を見ていて気づきました。本当に、中国語って、人間関係を人称でバシッと決めてきますね。

諍い女で「妃」の付く人たちは、「本宮」って言うんですね。音は「ぼんごん」というか「べんごん」というか、日本語表記の難しい音である。

こういう人たちは「本宮」って自称するのだ。

それもあり、「琅琊榜」を見るときは、一人称・二人称に少し気をつけて見ていた。

そこで思い出したのは、「謙譲語」である。

高校の古文の時間に「尊敬語」「謙譲語」が出てきたのを思い出していただきたい。

あれは、尊敬語=相手を自分よりも上に持ち上げる謙譲語=自分を相手よりも下に下げる、ということを理解していれば、受験レベルなら悩むことはほぼないものであった。現代日本語よりも、受験レベルで出てくる古文はシスティマティックで、かっちりしたものである。

中国語に堪能ではないので、「琅琊榜の中では、」と限定してしまうが、一人称の変化がまさにこの、古文の謙譲語の動きそのものであるように思えた。

語学に堪能な方にお聞きしたい。日本語の謙譲語は、中国語からの影響があるんだろうか。

一人称

太子の一人称は「本宮」。東の宮=東宮に住まわせるものなので、別名「東宮」。この「本宮」は、太子=東宮ゆえに用いることができる。

誉王の一人称は「本王」。誰に対して言っていたのかというと、蘇先生・般弱ら「目下の者」に対してである。確か靖王に対しても言っていたと思うが。途中まで靖王は郡王にすぎず、親王である誉王は単純に兄というだけではなく、明確に身分が異なっていた。

しかし、皇帝に対しての一人称は「児臣」(あるちぇん)であり、育ての母である皇后に対しては「児子」(あるつ)と言う。

まさしく、一人称を相手よりも下に下げることによって敬意を表するのであった。

誉王に対して、靖王は「皇兄」と呼びかける。

靖王は出世魚であった。郡王から親王へ、そして太子、皇帝と身分が変わる。(そして衣装も変わった)


新帝の一人称があったか記憶していないが、郡王・親王時代の一人称は目下の者には「本王」、太子になってからは「本宮」。皇帝には「児臣」、母の静妃には「児子」である。

臣下たちはというと、大臣たちは皇帝に向かって「微臣」(うぃちぇん、に聞こえる)を一人称にしていた。

面白かったのは、蘇先生(無冠)であった。「草民蘇某」を皇帝に対する一人称にしていたのだが、これが不遜な雰囲気でとても好きだ。

二人称

諍い女では、皇帝へは「皇上」(わんしゃん)と呼びかけていたのだが、本作では「陛下」(びぃしゃぁ)であった。「皇上」というのは三人称で用いられていた。

明妃伝」では「皇帝」(わんほぅ)と呼びかけられいた。中国はいろんな王朝がありますからね。

長安二十四時」では皇帝のことを「聖人」と呼んでいた。

皇后ら、「本宮」が一人称になるお妃たちへは、「娘娘」(にゃんにゃん)をよく見るけれど、「骊歌行」では皇子たちへと同様に「皇后殿下」と呼びかけた。

皇子たちへは「殿下」(でぃえんしゃぁ)である。

皇帝はというと、遠慮する必要がないのだが、子供達に対しては例えば「琰児」(景琰=靖王のこと)と呼ぶ。面白かったのが、禁軍の長である蒙大統領のことである。諱まで入れて「蒙摯」と呼びかけることもあれば、「卿」と呼びかけることもあった。

基本、二人称は相手を持ち上げ一人称は自分を下げるのだなあ、と見ていて思った。

これを日本語でどう表現するのか。実に難しいことだなあと思う。

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