長安爆破まで残り24時間! 怒涛の展開で描く、新感覚のサスペンス×アクション×時代劇!
唐の時代。張小敬(レイ・ジャーイン)は、地方を守る兵士として手柄を挙げ、長安の罪人を捕まえる不良帥となったが、ある殺人事件の犯人とされ死刑囚として投獄されていた。
ある時、長安の治安を守る靖安司の責任者・李必(イー・ヤンチェンシー)は、テロ集団「狼衛」の一味が城内に潜入しているという情報をつかむ。
李必は、かつて長安の警備経験もあり城内の人物や地理を熟知する張小敬に目を付け、功績を挙げれば免罪にすることを条件に、特例で張小敬を捜査係に任命する。
やがて張小敬は、狼衛が多くの人が集まりにぎわう上元節(旧暦正月の15日)に、長安で爆破テロを計画していることを探り当てる。
しかし、その背後にはより深い陰謀が渦巻いていた…。人々が上元節で賑わうなか、爆破まで残された時間は24時間。
果たしてタイムリミットまでに犯人を捕まえ、長安の人々の命を救えるのか。
2019年 长安十二时辰
感想
中国の2019年最大のヒット作だったのが本作ではなかったかな。
玄宗皇帝の時代の長安を結構研究結果に忠実に再現したらしく、まあ、すごいんですよ。だって、モブのメイクからしてこれです。
国際色豊かな、シルクロードの目的地・長安。
市井の人々の中には倭人がいる。中大兄皇子時代に白村江の戦いの敗戦処理らしい遣唐使が行っているけれど、天武天皇・持統天皇は遣唐使を派遣せず、文武天皇時代にようやく大規模な遣唐使が長安に行っていて、戻ってきて長安の様子が日本側に伝えられて藤原京に手を加えるのではなく、新たに長安を模した都市をつくろうと元明天皇時代に平城京遷都することになる。
本編よりもビハインドショットの方が面白いんだもん。メイクも、衣装も。
さて、玄宗の時代、安史の乱(755年)の直前なので、日本は孝謙天皇・聖武上皇の時代。だからこの時代の唐の文物は正倉院にかなり残ってるというわけだ。衣装担当の中に黒澤和子が入るからか、衣装は本当に正倉院にありそうなものがたくさん出てくる。

もちろん時代は李白や杜甫の時代。だから、主題歌は李白の詩に曲をつけている。日本なら飛鳥・藤原時代を舞台にした作品に、柿本人麻呂の和歌に曲をつけるような、そんな感覚だと思う。
アクションもカメラワークもすごくいいのよ。ところが、ネタが爆破。石油を使うんだが、それは火薬ではないのかね、火薬というのは唐にはないぞ。その歯車と動力があるなら産業革命に行けるじゃん。ちょ、ちょ、ちょ、竹でその形の骨組みを作って中でアクションって建物が持たないだろ??という感じで、クライマックスに向かって気持ちがどんどん尻すぼみでお腹いっぱいだった。もちろんワイヤーアクションにリアリティを求めてどうすんのという話だけど、武侠ものではなく、骨太に進むと思ってたら、なんなの?という気分でしりすぼみ。いくら主人公が二人、つまり天才少年の李必(字は長源)と、元不良帥の張小敬の二人の24時間で48話なんだが、長すぎる。中国ドラマでは短い方だし、中国ドラマの尺に慣れてるのに長すぎると感じる。
実際に、登場人物の中に阿倍仲麻呂と一緒に来た倭人(ちょうど仲麻呂は帰国しようと沿岸部まで行ってるころか、遭難してるかという時期)まで出てきた。
李必は靖安司司丞で、上司が何爺さん。このじいさんが靖安司主理。なんか本作におけるイメージは、靖安司は江戸のお奉行様。靖安司司丞は一人ではないというのも、南町奉行に北町奉行っぽいんですよ。で、靖安司主理はそれを管轄する老中の誰かとかさ。なんかそんな感じ。靖安司吏員たちが同心(お侍さん)だとすると、不良帥は岡っ引きのお頭という感じです。
張小敬のパートはアクションと謎解き。なぜ岡っ引きのお頭っぽい不良帥だったのに大量殺人を犯したのか。
李必のパートはボケ老人になりかけた玄宗の元で、太子(のちの粛宗)と林九郎の対立に巻き込まれる「政治」そのもの。
出てくる人の多くに裏の顔があり、冒頭の美豆良の幼女すら伏線として回収される。文字通り回収される。
張小敬の虐殺事件の背景にあったのは、殲滅した第八団だった。
命からがら長安に戻り、日常を取り戻した張小敬が知った残酷な事実は、第八団は兵部尚書だった林九郎により囮として捨てられたということ。さらに第八団の聞隊長の店が地上げにあい(やはり背後に林九郎がいた)、さらに殺され、聞隊長の復讐として虐殺事件を起こしたこと。
俺たちはシロアリだと名乗る、テロリスト集団にも言い分がある。リーダーの龍波は第八団の旗手だったんだもの。聞隊長の娘の聞染のことを龍波も張小敬も大切にするけれど、これがまた、長安に恨みを持つ、ホームグロウンテロリストそのものだ。龍波が同調して上り詰めたホームグロウンテロリストとすれば、聞染は例えば自らISISに行っちゃうドイツ人女性・イギリス人女性の話がいくつかあるけれど、まさしくそんな感じ。
政権上層部の爺さん達は、どうしようもなく。聖人(=皇帝)はそりゃポアされた方がいいような人物として描かれる。これ、放送して大丈夫か?と、本編以外のところでハラハラした。
そういえば、かの国は歴代王朝は血を持って交代し(しないこともある。後漢→魏)、現在も日中戦争からなだれ込むように国共内戦を経て、国旗の赤は血の色の赤なのである。そういうものなのだろう。
そしてラスボスの小者感よ。能力を発揮できぬと思った人が何をどうするのか。日本こそそういう社会ではある。搾取されて50を前にした団塊ジュニアから40前後の氷河期世代ならわかる。みんな腹のなかで刃物を研ぎ澄ませている気分が、生きる根底にある。それは相打ち上等!だったり。下の世代に対して社会を変えていこうというポジティブな感情だったり、様々だ。中国もそういう社会になりつつあるのか。
というわけで、本作を現代劇でやろうとすると、出演者まで含めて粛清されそうなお話であった。中国で古装ばっかり出てくるのは、そういうことである。
政治を語る作品は古装という姿を取る。「琅琊榜」は青臭く正義を貫く話でもあった。しかし、本作は違う。むしろ、「現実って青臭く正義を貫けるものじゃないよね」だった「今夕何夕」の方が思想的に近い。手柄を立てたはずの、張小敬も李必も長安を離れるのはいつもの中国の作品のパターンだが、本作では太子は林九郎を必要悪とする。勧善懲悪でなければならない中国ドラマなのだが。一応、シロアリ団は壊滅するし、ラスボスも死ぬので勧善懲悪ですと主張できるんでしょう。しかし、本作の諸悪の根源は聖人(=皇帝)よね。
というわけで、理想があったのに現実がめちゃくちゃで失望しちゃった感のある天才児李必は「山に登る」と言い。降りてきたところで安史の乱。太子の側で李必は、みたいな続編ができそう。どさくさに紛れて太子を即位させたら、玄宗が戻ってきたよ、みたいな。
私的「今夕何夕」枠からそのまま本作を見たので、あれもまた太子の立場がかなり不安定。後半は楊貴妃没後の玄宗と太子時代の粛宗の話だったのかしらと。🐠ちゃんは、粛宗にしては安心感がありすぎたけれど、あの後すぐにご病気でお亡くなりになるのかしら。
本作の原作は、「三国機密」の馬伯庸。本作で太子が最後に林九郎の悪行の証拠を燃やしてしまうように、あれも、為政者に特に人格を求める話ではない。「誰の元なら戦乱を終えることができるのか」が底にあり、自分(劉平)が皇帝であり続ける必要はなかった。戦乱を終えるのが目的で、曹丕は手段にされたのよね。ただ、原作では官渡の戦いまでだという噂なので、曹丕ちゃんを闇落ち曹丕ちゃんに「大哥」と呼ばせつつ禅譲したのは脚本家の常江の仕業か。でも、多分そういう世界観なのではなかろうかと思う。