ドニー・ダーコ
マサチューセッツ州ミドルセックス。ドニー・ダーコ17歳。飛行機のエンジンが家に落ちて以来、彼の前に銀色のウサギが現れる。ウサギが告げる[28:06:42:12]、転校生の美少女、ホーキング博士、地下室の扉…。彼をとりかこむ全てが「あのこと」を告げている。28日後の世界で彼を待っているのは一体何なのか?
Donnie Darko 2001年
感想
監督はリチャード・ケリー。
ジェイク・ギレンホールといえば、私にとっては「ゾディアック」。真面目なのだけれど、ちょっと融通の利かない人だった。本作はうんと古いので、虐められっこが似合うようなオタク系の少年を好演している。姉のエリザベスを演じたのはジェイクの実姉のマギー・ギレンホール。「ダークナイト」のヒロイン、というほうが通るかな。口ばかり達者な姉と弟なのだが、実際にもこんな感じなのかもしれない。息がぴったりである。
セカイ系
さて、本作は日本でゼロ年代、特に前半に流行ったいわゆる「世界系」(冴えない俺がこの世界を救う系)の物語の先鋒の一つに上げても良いのではないだろうか。(おそらくメジャーには「マトリックス」。しかしアングラ層には本作の方がうけたのではないかなあ)
ドニーは時空のゆがみを自分の命を持って正すのだから。そうしてみると、エンジンが落ちた次の日の登校のシーンから感じた違和感が解ける。
上にも書いたがドニーは虐められっこが似合う。おそらく現実世界では虐められっこだったのではないだろうか。しかし、生き延びた世界では不良も一目置く存在だ。てっきり、ドニーが放火をしたことがあるヤバい人、もしくはエンジンが落ちた有名人だから不良も近寄れないのかと思った。グレッチェンだって何もドニーを選ばなくても良い。グレッチェンが不良に絡まれるところでも、グレッチェンならもっと良い男がきただろう。しかし、この世界は「ドニーのための」世界なのだ。だから、一目置かれる存在になる。
ドニーのための世界には、一人だけいてはならない者がいた。それが、ドニーその人だった。それを理解してグレッチェンを救うためにドニーは死ぬ。死後の世界には、精神疾患があって持て余し気味の自分はいない。自分でも持て余すような自分から解放され、愛する人は生きる。ドニーが死ぬ前の瞬間、ドニーは病的なまでに笑い転げる。ドニーが生きた「ドニーのための世界」はドニーが速いスピードの飛ぶ金属、飛行機のエンジンをタイムマシンにしてゆがみを正したせいで、ドニーその人以外には知られることもなく消滅する。でも、ドニーには楽しかったのだろう。
なんとなく、「風立ちぬ」の根底に流れる世界観、いや、むしろ主題歌の「ひこうき雲」を思い出した。
価値観への疑問
本作はセカイ系なのだが、ラノベな薄っぺらさはない。
本作のキモは「恐怖を克服せよ」「神様」といったアメリカ的価値観を押しつけることへの疑問を呈するところにある。特に自己啓発男の裏の顔が児童ポルノ男、というのは非常にきついジョークである。日本でもそうだ。売れる本は役に立たないビジネス書ばかり。もしくは心理学を悪用したようなスピリチュアル。健康に関しては酵素ダイエットのようなニセ科学。その象徴がこの児童ポルノ男。
東海岸の親友が昔住んでいたという家も見せてもらったが、そこはドニーの家周辺に少し似ていた。もっと言えば、「この辺りは割とお金持ちの人が住むエリアで」というところがドニーの家周辺に似ていた(「とてもお金持ちの人が住むエリア」はまた別のところ)。制服を着ているところを見ると、ドニーの学校は私立の学校だろう。親友も私立の高校に行っていた。教育熱心なエリアなのだろう。そういう学校の科学の先生に反キリスト教的な発言をさせかけるドニーに、先生は「これ以上言うと、僕は失職してしまう」と会話を打ち切る。そして、建物の屋根に十字架があった。おそらく、キリスト教系の学校だろう。
その学校は、ずばっとした国語の先生を辞めさせ、児童ポルノの館の自己啓発男をあがめるような学校だ。偽善だ。
自己啓発男だって「恐れを克服して」という話なのに、世界のゆがみが正された朝には泣いている。偽善だ。
ドニー・ダーコ2
ドニー・ダーコが死んでから7年後の世界。ドニーの妹サマンサと親友のコーリーはカリフォルニアへ向かう途中で車が故障、近くの町に滞在することに。その日の夜、帰還兵が風車塔に登るのを見たサマンサは、何かに導かれるように彼に近づき「4日17時間26分31秒後に世界は終わる」と告げる。それから、不可解なことが次々と起こりはじめ、彼女の前に銀色のウサギが現れた……。
S. Darko 2010年
感想
監督はクリス・フィッシャー。
前作では「マサチューセッツ」の少年の物語だったが、妹、サム(サマンサ)の物語になったときには、サマンサはヴァージニアに家があることになっている。引っ越したのだろう。
サムを演じるのは、前作でサムを演じたデイヴィ・チェイス。むっつりと不機嫌な美少女を演じている。
キャミソール一枚、というのもざらだが、あんな太陽に焼かれて白くしみ一つない肌、というのはあり得ないだろう。
一つ一つの絵は美しいのだが、テンポも悪く、なんだか微妙な一作であった。それもそのはず。アメリカでもDVDスルーだった作品である。