バットマン ビギンズ
鬼才クリストファー・ノーラン監督によって明かされる、“闇の騎士(ダークナイト)”の誕生秘話。
Batman Begins 2005
感想
監督はクリストファー・ノーラン。ゴッサムシティを支配するウェインカンパニーの御曹司はブルース・ウェインを演じるのは、クリスチャン・ベール。
ティム・バートン版の軽いノリとは違う。ブルース・ウェイン、という人物は複雑、というよりもかなり屈折している。コウモリはブルースの恐怖の対象だったのか。
ただ、クリスチャン・ベイルが能面のような顔で、演技もうまくない。キリアン・マーフィと役が反対の方が良かったと思う。
監督がクリストファー・ノーランのせいか、凍り付いた大地での訓練シーンはなんとなく「インセプション」を連想させられた。渡辺謙も相変わらず何を言っているかがわからない。聴不得というやつだ。
いろんな機械などの開発もリアリティがあって、ウェインコーポレーションの化学部門が関わっているし、スーツも買うのだが「怪しまれないように大量に買いましょう」「どのくらい?」「一万着」で、しかも素材が悪く割れやすい、とか。いちいち受けてしまった。
キャストを見ると、どう考えてもラスボスはゲイリー・オールドマンと思うのだが、違うのが残念だ。(ということは、ラスボスはあの人なわけだ。
マイケル・ケインとモーガン・フリーマンはいつも通り。つまり「何もしない」わけだ。そこにいるだけ。
ヒロイン、ケイティ・ホームズを見ていると、たれぱんだ(古いね)を思い出した。太っちゃいないが、たれぱんだ。
ダークナイト
ゴッサム・シティーに、究極の悪が舞い降りた。ジョーカーと名乗り、不敵に笑うその男は、今日も銀行強盗の一味に紛れ込み、彼らを皆殺しにして、大金を奪った。しかし、それは彼が用意した悪のフルコースの、ほんの始まりに過ぎなかった…。
2008年 The Dark Knight
感想
ヒース・レジャーの遺作。エディソン・チャンが出演した映画で2013年現在、最も撮影時期が遅いのが本作ではなかったかと思う。
ストーリー展開も見事で、素晴らしい出来だ。
バットマンを強請ろうとする会計士など、前作に引き続き、妙にリアルだ。ただ、島を出ようとする二隻のフェリーのくだりの囚人と市民の行動は「映画として」ありきたりで、リアリティがない。あれは、囚人側が起爆装置を捨てる(そうさせたいならね)が、市民は押す。そして、それぞれの起爆装置は、自分の船の爆弾の起爆装置だったので、市民は全滅、とすべきだった。
ヒース・レジャーは生きていれば「怪優」だったのになあ、と惜しまれる。ジャック・ニコルソンの正当な後継者になれたはずなのに。別の怪優の誕生をまたねばならない。
本来はジョーカーを「食う」ことができるデント役のアーロン・エッカートが、顔を半分「失う」せいなのか演技力が足りないのか、後半「狂気」を見せてくれないのだ。そのせいで、ヒース・レジャーの狂気とアーロン・エッカートの狂気のバランスがとれない。
アメリカの伊藤英明だと思っているクリスチャン・ベイルはいつものあまり表情がなく、迫力のない顔と演技だ。「ブルース」モードも鷹揚で派手な億万長者には見えない。「バットマン」モードは顔を隠しているのでクリスチャン・ベイルかどうか不明。正直なところ、どうしてこの人が生き残れているのかがわからない。
レイチェル役は前回「バットマン ビギンズ」のケイティ・ホームズから、やはりファニー・フェイスのマギー・ギレンホールに交代。ただ、ブルースとデントの間で揺れ動く、という表現があまり上手くない。
エディソン・チャンは香港のシーンにちらっと出る。台詞はあるがちょい役だ。ラウ役に起用すれば良かったのにと思う。童顔すぎたのだろうか。「若き香港の」とか「親の遺産を継いだ」とかでも良かったと思うのだが。香港のビルはIFC2。

クリスチャン・ベイルとモーガン・フリーマンが会話していたのは、セントラルのフェリーピアからIFC2までのびる歩道橋だった。
ダークナイト ライジング
伝説が、壮絶に、終わる。
The Dark Knight Rises 2012年
感想
クリストファー・ノーランが監督して、クリスチャン・ベイルが主演だった最後の作。
前作「ダークナイト」から8年後のゴッサムシティの治安は大幅に向上していた。ハーヴィー・デントの名前を冠したデント法によりマフィアを逮捕することができるようになった。
お見事お見事。
二時間半あるが、テンポが落ちることもなく、矢継ぎ早にストーリーが展開されて退屈することはなかった。
「英雄はいない」そんなヒーローものだ。そのリアルさ。
相変わらず、クリスチャン・ベイルは大したことはないし、モーガン・フリーマンとマイケル・ケインは何もしない。ゲイリー・オールドマンこそがラスボス、と思っていたのに、違うんだなあ。残念。
今回も端役で絡むキリアン・マーフィだが、ヒース・レジャーが生きていればジョーカーで絡められただろうに、と思う。そうすればもっともっと面白くなっただろうと思う。
マリオン・コティヤールとジョセフ・ゴードン・レヴィは「インセプション」から引き続きノーラン組の常連になりそうだ。ジョセフ・ゴードン・レヴィはいい演技をするのだが、クリスチャン・ベイル以上にオーラがないから主演に持ってきてはいけない。何度も言う。「主演に持ってきてはいけない」。
マリオン・コティヤールは完全にクリスチャン・ベイルを食っていた。このミランダの迷いのなさは爽快なくらいだった。
反対にアン・ハサウェイは気色悪かった。頭が小さいから細くなってもバランスが崩れていないのはすばらしいのだけど、気持ちの悪い細さだ。あの目はナチュラルなのだろうか。眼頭切開でもしているのではないかと思いたくなるくらいの大きすぎる目にがっつりアイメイクだから顔の半分くらいが目になってしまっている。宇宙人の「グレイ」みたいだ。ブリタニー・マーフィのようなか細さがないのは良いのだが、この人を真似して過激なダイエットをする人がいそうだ。細すぎるモデルをファッション業界が追放しようとしているニュースがあったが、映画もそうすべきだ。
レイチェルの写真が出てくるのだが、たれぱんだケイティ・ホームズではなくて、マギー・ギレンホールの写真だった。
そういや、面子を見ると、イギリス人にアイルランド人で、アメリカ人はモーガン・フリーマンとアン・ハサウェイだけって、なんちゅうニューヨーク映画。
これ以降はネタばれをかなり含むのでご注意を。
ベインはニューヨークを占拠し、核を持っていることを盾にして政府の介入を防止して、革命を起こす。一種の共産革命のようなものに近く、「市民」の名前の下に富裕層を弾圧していくのだ。
ここで私が連想したのは、ソビエトの末路でも、中国の文化大革命でもなく、オキュパイ運動だった。
オキュパイ運動そのものは2012年の半ばまでにほぼ収束しているように見える。
それでも、ウォールストリートに対する恨み、つまりアメリカではサブプライム問題で家を失ったり、サブプライム問題が引き金を引いたリーマンショックによる不況で職を失い、金融機関には公的資金が注入された。税金で救ったのだ。再び金融機関は給与水準を前の水準に戻しつつあることへの恨み、ヨーロッパではギリシャ債務危機が引き金になったユーロ問題は、そもそもゴールドマンサックスがギリシャ政府に負債を隠蔽するように助言したことが原因になっていて、やはりウォールストリートにたどり着く。
ニューヨーク証券取引所(もろにウォールストリートで撮影しているようだった)に乗り込み、大富豪のブルース・ウェインの名前で取引をしてブルースを破産させるところや、ベイン一味が証券会社のクズをぼっこぼこにするところでスカッとした気分になった人は少なくないだろう。
持たざる者の持つ者への復讐、そんな気配を濃厚に感じたのだった。
確かにベインたちはバットマンに負ける。けれど、ブルース自身は破産したままで死んだことになっているし、その後のゴッサムシティがどうなったのかは描かれない。おそらく、金融市場が崩壊している。沖で核爆発が起これば、もちろん放射能汚染に風評被害で福島化だ。これで一度すべてがリセットされたのだ。
このカタルシス。これがこの時代の求めるものの一つなのだろう。