南アフリカ、ヨハネスブルグ。世界で一番危険なスラム。アパルトヘイトの爪跡が今も残る街に生きる一人の少年。本名は誰も知らない。ツォツィ=不良(ギャング・犯罪者を表すスラング)と呼ばれるその少年は仲間とつるんで窃盗やカージャックを繰り返し、怒りと憎しみだけを胸に日々を生き延びていた。名前を捨て、辛い過去を封印し、未来から目をそらし・・・。
しかし、ある出逢いによって、ツォツィの人生は大きく変わり始める。奪った車の中にいた生後数ヶ月の赤ん坊。生まれたばかりの小さな命に、ツォツィの封印していた様々な記憶を呼び覚まされていく。やがてツォツィは「生きること」の意味や命の価値に気づき、希望と償いの道を歩み始める。
Tsotsi 2005年
感想
監督はギャヴィン・フッド。
列車の中で刺されて、それを見て見ぬふりをする人たち。(返り血というものを無視している。)刺される方は驚いて声もあげられないかもしれない。
わずかの金のために人殺しも厭わない人たち。
それがアフリカのイメージである。
赤ん坊を見てどう思うのだろうか。うるさいと思い、撃ち殺すのがおちだ。
そう思ってしまい、しらけてしまった。
連想したのはレスリー・チャンの「流星」とその元ネタ、チャップリンの「キッド」だった。「流星」では全てを失った男が子供を拾って育てた。「キッド」も浮浪者のような男が子供を拾って育てた。ファンタジックな中にリアリティを見たのだが、比較的成熟した社会であるイギリスを舞台にした「キッド」も、物質的な豊かさを一度は知り、そこに虚しさを感じた男の物語だった「流星」と。本作の違いはツォツィにはそもそも「何もない」男であったというところだ。浮浪者でも生きていけるほど豊かなイギリスの男、そして知性も生きていくの知恵もあった香港の男。彼らは犯罪は犯さない。しかしツォツィは犯罪しかしらない男だ。いわば、犯罪以外を知ることのできない男だ。おそらく他人の感情を想像することもできない男。障害者のシーンでそうなのがわかったではないの。
どこであろうが、親切な人がいるものだと思う。しかし、ワルはワルだとも思う。人が変わることを期待してはならない。人はめったなことでは変わらない。だからこそ、変わった人は物語になる。
そういえばもう一つ。ジャッキー・チェンの「プロジェクトBB」。あれは犯罪者だったが「殺しはしない」とかルールを設けていた。
モンゴロイド特有の文化が背中に子供を負ぶうというものだと思っていた。アフリカでもおんぶするんだね。
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