華奢で青白く澄んだ瞳が印象的な20代半ばの女性・マヤ。とてもCIA分析官には見えないが、情報収集と分析に天才的な感覚を持ち、一向に手掛かりをつかめないビンラディン捜索チームに抜擢される。捜査は困難を極め、ある日、同僚が自爆テロに巻き込まれて死んでしまう。その日を境に、狂気をはらんだ執念でターゲットの居場所を絞り込んでいくマヤ。ついにマヤは隠れ家を発見するのだが、果たして国家が下す決断とは――。
Zero Dark Thirty 2012年
感想
監督はキャサリン・ビグロー。
吐き気がした。序盤の拷問シーンも、終盤のシールズの作戦シーンも。
オバマ再選キャンペーン中に公開されたとあって、オバマ再選用の映画と保守派からは捉えられたようだが、実際には大統領は出てこない。それはアメリカのこのような映画には非常に珍しいことだ。それだけでも、監督がどのような立ち位置にいるかがわかるだろう。
容赦ない拷問は拷問される側だけでなく、拷問する方も蝕んだ。初めは嫌悪感を示し、次に慣れる。そして、疲れきり、やめてしまう。帰国後はおそらく夢にうなされ、薬物に手を出し、自殺する者も少なくないだろう。「帰るんだ。もう飽き飽きしたよ、男の裸には」「どうするんですか?」「事務仕事かな」という会話と暗い表情だけで、拷問者の暗い未来が見える。シールズだって「何を聞いているんだ?」「ナントカカントカ」「自己啓発か?」「退役して事業を始めようと思うんです。どうです?一緒に儲けませんか?」と笑っているが、すぐにビンラディン暗殺計画でビンラディン以外の人間を射殺したことに戸惑う様子を描いている。おそらく彼の未来も暗黒だ。
ラストにマヤが見せた涙は何を物語るのだろう。安堵の涙か。違う。マヤは小さなテロリストたちを捕まえようとする局長に大元はビンラディンだ。ビンラディンがアメリカ攻撃を命令している、と叫ぶ。ビンラディン一人を殺したって、アメリカがまき散らした憎悪はアメリカに跳ね返る。それくらいわかっているのだ。あの涙は、安堵とともに、今後一生をかけて逃げ回らねばならないこと、テロが終わることはないことを示すのだ。
「マヤ」として描かれた分析官のモデルは複数人いるだろう。そしてそれは決して「マヤ」ではない。「マヤ」は白人で高卒でリクルートされた(おそらく、大学はCIAが行かせていると思うが)女性。ではなく、黒人で大学院卒の男性、あたりかもしれない。それは「マヤ」を必死でイスラム原理組織が探そうとするからだ。「マヤ」は隠さねばならない。
本作では分析の間続いた数々のテロ、ヒースローに、パキスタンでマヤ自身が巻き込まれたテロ、そして、仲の良かったCIA職員が作戦中に爆殺されること、そしてタイムズスクエアでのテロが描かれる。だからアメリカはビンラディンを殺さねばならない。けれどそれはアメリカがまき散らした憎悪の跳ね返りでしかないのだ。シールズに夫を殺された妻は「よくも夫を」とつぶやいた。容赦なく目の前で親を殺された子供たちはどうなるのだろうか。アメリカの憎悪は新たな憎悪を生み出す。そうだ。諸悪の根源は、アメリカ自身。
本作のメッセージは強烈であった。