半年前に最愛の妻を亡くしたベンジャミン。新聞コラムニストの仕事は頭打ち、反抗期の息子とは心が離れ離れ、娘も悲しみを抱え……。人生の崖っぷちに立たされていた彼は、妻との想い出が詰まった町を離れ、新しい土地で生活を始めようと決意する。そんな彼が購入したのは、郊外の丘の上に立つ理想の家。ところが、その物件はなんと閉鎖中の≪動物園≫付きだった。周囲の大反対を押し切り、引っ越しと同時に知識も経験もない園長となった彼は、風変わりな飼育員たち、再オープンを待ち望む地元の人々、そして家族みんなのサポートを得て動物園再建という一世一代の冒険に乗り出していくのだった。資金不足・悪天候など次々と彼らの前に立ちはだかる障害。果たして無事オープンの日を迎え成功することができるのだろうか!?
We Bought a Zoo 2011年
感想
監督はキャメロン・クロウ。
誰だよ、このおっさん?コメディアンではないロビン・ウィリアムズ?いや、もっと痩せてるな。とおもったら、マット・デイモン。90年代前半に作られたファミリー・コメディの「お父さん」はないか。「ベートーベン」とか。(いや、それ以降も作られたのだろうが、みていないのだ)
あー。あの、マット・デイモンがこうなっちゃうの?「リプリー」や「グッド・ウィル・ハンティング」のあの一見自信のなさそうな曲者君は、「ボーン」シリーズのマッチョを経て…腹の出かけたパパになっているじゃないか。年月の経つのははやいなあ。それにしても「よき父」になったじゃないか。彼氏、じゃなかった親友のベン・アフレックもマット・デイモンもよき父、よき夫になったと思う。(離婚なんかするなよ?)
スカーレット・ヨハンソンはアメリカの女優にしては珍しく「湿度のある」女優のイメージがあった。湿度のあるセクシーさだ。いわゆる、誘う女というよりも、周囲の男が狂っていくタイプ。けれど、今回は非常に健康的だ。陰よりも陽だ。なんたって、飼育員だもの。陰も陽も使い分けられるいい女優だ。セクシーは封印してみるといいと思う。ケリーはベンジャミンに好意があって、ベンジャミンも憎からず、というところなのだが、それはいらなかったと思う。ベンジャミンは妻のキャサリンを忘れられないし、最後には子供たちに出会った場所に連れて行って話して聞かせるのだ。死者は、すぐそこにいる。
リリーに見覚えがあると思ったら、エル・ファニングだった。姉のおばさんじみた、というか、「体は子供、頭脳は大人」、といった奇妙な雰囲気がなくて、むしろ、スカーレット・ヨハンソンの子役時代や、リンジー・ローハンの子役時代を思い出させた。
ロージー役の小さな女の子がこまっしゃくれていたのだが、くっくと笑う声が愉快だった。人は何歳まであんな笑い方ができるんだろう。
ところで、このタイトルはいかがなものかと思う。
「キセキ」がカタカナなのは、「奇跡(奇蹟)」なのか「軌跡」なのか。おそらくかけているのだろうけれど、前者ならば「○○への」というのは日本語として不自然。「感動」ものとして売りたいのはわかるのだが、マット・デイモンではなかったら手に取らなかった。むしろ、「20秒の勇気」でよかったのではないかと思う。結局キモはそこだもの。
それにしても、これほど「死」に近いホームコメディがあっただろうか。
妻が死んだ、夫が死んだ、もしくは離婚した、そこから始まるシングルペアレントファミリーの再生の物語はそれこそ腐るほどある。だが、アメリカで描く場合には、子供目線では「異種」との関わりによる成長と克服、という物語で仕上げるか、大人目線では新たなパートナーと出会い、あたらしい家族を作る、ということになりがちだ。本作も、おばさん女優を配するのではなく、スカーレット・ヨハンソンを配しておそらく、次のパートナーを見つけることになるだろうと思わされたし、そうしても上手くまとまっただろう。個人的には食傷気味なので、キスシーンすらいらなかったが。
けれど、本作は決定的に違うのは、トラの近い将来の死まで描くだけではない。
この会話だ。
「ママは死んだけれど、すぐそこにいるんだよ」「ママの魂をつかまえる」
「ママにいわなきゃ」「ママが知らないとでも思ってるの?」
そして、最後の「ママ」だが、子供たちも「見えている」
生者にとって、死者は死んでも、生者の側にいる。話の始まりから、終わりまで。一族の中で、死んだ家族の話を「あのときね、」と話すあの感覚だ。このリアルさ。
ただ、「再生」も暗示されている。
ロージーが孔雀かなにかに「赤ちゃんはいつ生まれるの?」と聞いていたが、最後に雛がかえった。
あたらしい人間関係に入るわけではないが、残された家族は生きていくのだ。死者とともに。