19世紀末期。清朝の圧政下で民衆の怒りが爆発し、大平天国の乱が勃発。戦いに破れ、味方をすべて失った清朝軍将軍パンは失意の中で盗賊団のリーダー、アルフと、弟分のウーヤンと出会う。彼らとともに義兄弟の契り(投名状)を結んだパンは、大平天国軍を次々と倒し、西太后からも厚い信頼を得るに至る。しかし、国のために戦うパンと、仲間のために戦うアルフの間の溝は深まり、思いもよらない悲劇を引き起こす。それは逃れられない運命だったのか。純粋に二人の兄への友情のために戦ってきたウーヤンが下した決断とは…!?
原題:投名状 The Warlords 2007年
感想
西洋のバディものは亀裂が入ろうが入るまいが二人である。
それに対して、中国の義兄弟ものは三人と決まっている。義兄弟となり「生まれた日は違えど、死ぬときは一緒」というやつが投名状らしい。
理性的で大局を考えるチンユン、情に厚いアルフ、そしてその二人の良き理解者であるウーヤン。トリオはうまくいっているときは良かった。しかし、理性と感情がぶつかったときには、理解者であるだけに板挟みになってしまう。そのときの行動規範、それが投名状らしい。原点に立ち戻るしかないのだ。だから、三人の間を引き裂く者(女)は殺さねばならないし、三人のうち二人が殺し合えば殺した方を殺す義務が発生する。
ウーヤンの立場から語られるストーリーテリングは終始抑え気味だ。むしろ、前半を気分良く盛り上げ、後半を沈ませた方がメリハリがあってよかっただろうに。
ジェット・リー、アンディ・ラウ、金城武の三人の義兄弟の描き方は見事。ただ、アンディ・ラウは好きな女に実は迷惑がられていて、最も親しい相手に寝取られるというのは「上海グランド」そのままで、演技に幅がない。好演しているだけに「あー、上海グランドじゃん。レスリー・・・」とか思わさせられるのがもったいなかった。それは私がレスリー病だからかもしれないが。
問題があるとすれば、シュー・ジンレイとジェット・リー。
文字の読めないアルフと違い、芸妓になるべく育てられた女は文字を書くことができた。華やかな世界にデビューする直前にさらわれた。
アルフからすれば、「好きでもない男を客に取らされる芸妓は悲惨だ→そんな芸妓になることから救ってやった俺→俺のこと好きでしょ」。
女からすれば一番初めしか正解ではない。
後半は「ただし、イケメンに限る」。「どうして苦労して芸を身につけた。好きでもない男と寝る芸妓だけど、お金持ちのいい人に巡り合えるかもしれない。いい布に囲まれた生活は泥にまみれ、飢え死ぬかもしれない、殺されるかもしれないと怯えながら暮らす生活よりも良かった」。女はアルフを憎んですらいただろう。
そこに現れた男。一度命を救ってやった男。出会ってしまったわけですよ、文化の匂いに。そりゃ、ふらっといっちゃう。男も女にくらっときちゃった。そこで三角関係が生まれるはずなのだ。ホモソーシャルを引っ掻き回す女、で良いわけだ。
三角関係は三人が三角関係だときちんと認識しているから成立する。一人が三角関係にあると気づいていないならば「500日のサマー」である。三角関係ではない。ただの片思いだ。
俳優の問題ではなく、むしろストーリーテリング、脚本の側の問題だ。三角関係にしないのであれば、シュー・ジンレイを削っても良かった。ただただ、暗殺するつもりなどないアルフ(むしろ心配している)、このままではアルフが足を引っ張ってしまうので殺さざるを得ないチンユン、アルフを殺したチンユンを殺さないわけにはいかなかったウーヤン、で十分だった。
ピーター・チャン(陳可辛)惜しいなあ。