クリス・パイン主演のリブート版。
スター・トレック
自らを犠牲に、800人の乗員の命を救った伝説のキャプテンを父に持つ若者ジェームズ・T・カーク。偉大な父親の道をたどることを決意した彼は、一士官候補生としてUSSエンタープライズ号に乗船する。ところが、宇宙へ出航した連邦艦隊の前に、父を亡き者にしたロミュラン人の巨大宇宙艦が現れ、エンタープライズ号をはじめとする艦隊は莫大な被害を受けてしまう。惑星連邦に異常な憎しみを燃やすロミュラン人の目的とは…!?
Star Trek 2009年
感想
監督はJ・J・エイブラムス。
こちらの「カーク」は息子なのだが、実に荒い。実に、荒い。
スター・トレック イントゥ・ダークネス
宇宙艦隊司令官ジョン・ハリソン(カーン)(ベネディクト・カンバーバッチ)が復讐を誓い、たった一人でスターフリートに戦争を仕掛けた。カークとスポックはエンタープライズ号のクルーたちとともに生死を賭けた闘いへと旅立つ。
Star Trek Into Darkness 2013年
感想
監督はJ・J・エイブラムス。
ベネディクト・カンバーバッチで大騒ぎした以上、見に行かねばならぬ、と行って来た。ジョン・ハリソンだったが、確かにその通りである。「愛の神、エロス」を見たばかりで、ハリソンさんはまずはコン・リー姐さんに可愛がってもらうと良いと思ったのだが置いておこう。(バッチんが快楽と苦痛、羞恥心と怒りで顔を歪ませるところが見てみたい)
バッチんは良い仕事をしたと思う。「美しい」ということだが、唇に吸い付きたいところであったのは事実だが、は虫類的すぎて美しいとは思えなかった。まあ、ハリソンさんは人外なので、は虫類っぽくて良いのだろう。
クリス・パインもバッチんに喰われていたがまあいい。ガチムチなスポックのザッカリー・クイントが良かった。彼は声が良いねえ。いるだけで笑いが止まらないサイモン・ペグ、だいすきだ。
ストーリーも数カ所の破綻を除けば良いし、編集・演出は見事。
どうしてオリジナルで勝負しないのか
しかし、私は不満足だ。
気づけば良かった。「007 カジノロワイヤル」で、「慰めの報酬」で、「スカイフォール」で。「バットマン ビギンズ」「ダークナイト」「ダークナイト ライジング」で。全て、上出来の映画だ。だが、リブートものなのだ。「ホビット 思いがけない冒険」だって、前日譚ではあるが「ロードオブザリング」のリブートと言ったっていい。
本作も「スタートレック」シリーズのリブートだ。
気づけば良かった。
英米の映画はすでに終わったことを。
どれも良質のリブート作品ばかりなのである。だからこそ、「終わった」と確信を持って言える。
このストーリーは「スタートレック」である必要があったのだろうか。これだけのものならば、オリジナルに仕上げても良かっただろう。わざわざ宇宙ものにする必要もないがSFで良いではないか。
どうしてオリジナルで勝負しないのだろうか。
その答えが「映画はすでに終わってるから」なのだ。
どうしてオリジナルで勝負しないのだろうか。数字的にオリジナルでは客が呼べないのだろう。プロデューサーも呼ぶ自信がないのだろう。出資側も呼べるとは思わないのだろう。「スタートレック」は「スターウォーズ」ほどではないが、人が呼べるブランドなのだ。その安易さ。そして、安易さに逃げざるを得ない、という現状。これで「終わったコンテンツ」と思わないなら、そちらの方がどうかしていると思う。
オリジナルにあってリブートにないもの
病的なトレッキーに絡まれたことがあるのもあり、トレッキーとは気が合わない自信がある。
それでも、BSで数年前(もう10年近い?)にスタートレックのオリジナルドラマの再放送を帰省したときにちらちら見ていた程度には「スタートレック」を知っている。トレッキーたちは木を見て、いや、一枚の葉に気をとられて森が見えなくなっているだろう。オリジナルのシーンの再現などがあるらしいのだが、そんなものは一枚の葉の脈にすぎない。
「スタートレック」のエッセンスはアメリカ内部からの正論によるアメリカ批判・文明批判にある。血気盛んでけんかっ早いカークは、アメリカンスピリットそのものだ。それを批判するのに、女や非白人では脳みそが筋肉でできた連中の反感を買う。だからこそ、異星人のスポックなのだ。スポックは「論理的」に正論を語る。それは時にアメリカ批判になる。異星人だからこそ、アメリカ批判ができたのだ。冒険するその先々で出会う人々はネイティブアメリカンであったり、非アメリカ人の象徴なのだ。しかし、スポックとアメリカたるカークは仲がいいし信頼しあっている。アメリカンスピリットにしょげさせたりするが、スポックとカークによって、カークの引き起こしたトラブルは解決される。「アメリカの問題を発見し、解決し、より良いアメリカにする」というのがオリジナルの「スタートレック」のエッセンスなのである。正論だけは時間に負けない。「だけどね、」と正論を曲げてきた人たちが時代の流れに沿わなくなったときにひっくり返されてきたのを見てきたではないか。「スタートレック」がキワ物扱いされながらも、生き延びられたのはこの正論のおかげなのだ。
ところが本作にはそれはない。オープニングの未開の者たちだが、カークによって滅びる運命を変えられた人々は、「アメリカ人の気まぐれで援助された本来死ぬべき人々」だったのだろうか。そこまで深読みするようなシーンではない。単に「カーク」という人物を表現しただけなのだ。
破綻
全てスポック周辺である。
最後の見せ場のアクションがスポックであった。まず、バルカン星人は戦闘を好まない。この前提に反してしまう。(なんでスポックがガチムチなんだ、と思ったがアクション要員だったんだね。)
また、カーンの血で死んだカークよみがえらせようと思いついたのはマッコイだった。どうして思いつかないのだ、スポック。どうして殴りに行ってしまうのだ。
また、捕まえるのはカーンである必要はないではないか。冷凍人間の一人を拘束したまま解凍して血を抜けば良いではないか。
「どうしてスポック、君を助けようと思ったかわかるか?」というシーンがカークによる愛の告白にしか聞こえないし、そういうシーンが他にもあるのだが、それはデフォルト。