第1話 サンドラ
刑務所に服役しているサンドラは、娘との面会時にトラブルを起こしたことから、出所がまた遠のく。しかし彼女は、娘との確かな愛と深い絆に支えられている。娘はなにがあっても、母親の元に通い続けるのだから。
第2話 ダイアナ
ダイアナは偶然昔の恋人に再会し、それぞれが互いをまだ愛しているという事実に愕然となる。しかし過去に手にしていた愛は、すでに喪われている。そして彼女の目線は、自らの身体に宿る、確かに鼓動している愛を見出す。
第3話 ホリー
父親とのトラウマが原因で家を出ていたホリーが、自暴自棄のまま突然帰ってくる。が、彼女は幸せだったこともあった過去も思い起こす。彼女の傷を、今度こそ受け止めようとする慈愛のまなざしを持つ父親がそこにいた。
第4話 ソニア
友人夫婦の家に招かれたソニアと夫。突然夫の口から友人に向かって明かされる、彼女が堕胎したことの秘密。信頼は一瞬にして崩れる。しかしそれは、思いあうことの時間のすれ違いがそうさせているだけ。相手を思うがゆえに傷つけてしまう現実。
第5話 サマンサ
障害者の父と、その父と距離を置く母・ルース。ふたりの間でそれぞれの思いの伝達者となっている娘のサマンサ。その状況に脱力しながらも、他の誰もその場を担うことはできないことも確かだった。彼女だけが家族の防波堤、そして大切な愛の象徴。
第6話 ローナ
妻に自殺された元夫のために葬儀に参列したローナ。自殺の原因は彼女にあった。しかし夫は葬儀の最中にも関わらず、ローナを別室に強引に誘う。女性としての歓びと、人間としての功罪が背中を流れる水のように流れていく。
第7話 ルース
夫の介護に疲れ、渇きを癒すように不倫に走るルース。が、彼女は別の部屋で起こった光景を目撃したことをきっかけに、家族に思いを馳せる。人生は砂漠のように彼女から水を吸い上げるが、そこは海に囲まれていることに気づかなかっただけなのだ。
第8話 カミール
女性の身体の象徴である乳房を失う
Nine Lives 2005年
感想
監督はロドリゴ・ガルシア。
いわゆる「計算されつくしたカメラワーク」に「ナチュラルな演技」なのだろう。良作、秀作、と呼ばれる種類の映画なのだろう。そこに「感動してね」というような押し付けがましさを感じてしまい、退屈で辟易した。
説明がないので、語られる言葉から関係を推測するのだが、こういう「一場面を切り取る」演出は好きだ。
最終話の墓地で死んだ娘と過ごす女の話は嫌いではない。それでも、短編集として「読む」べきであって、映像にするような話ではないと思った。
人の感じ方は万別なので。