突然の父の危篤の報せに、台北で働く阿梅(アメイ)は故郷の病院へと駆けつける。しかし、病室に横たわる父は既に息を引き取っていた。母の死後、男手ひとつで自分たちを育ててくれた父の亡骸に付き添って、阿梅と兄の大志(ダージ)は自宅へと戻る。やがて、道士でもある叔父・阿義(アイー)の指図で、伝統的な葬儀が執り行われることになり、従弟の小荘(シャオチュアン)はその成り行きをビデオに収めることを決めるのだった。暦によって決められた野辺送りの日は7日後。父との様々な思い出に浸る間もなく、阿梅は古いしきたりに則った“お葬式”に追い立てられ…。
原題:父後七日 2010年
感想
死者をどう弔うのか。今の日本では病院から葬儀会社へとルートができているので、阿梅たちのような忙しさはない。ひょっとすると30年位前だったら日本もこんな感じだったのだろうか。情緒があって、こういう弔いをしてもらえたら浮かばれるだろうとは思う。けれど、するほうは面倒だ。面倒だから、私を送ってくれる人にはこういう弔いをしてくれることは望まない。
韓国に泣き女がいるときいたが、中華世界にもいたのか。「泣け」といわれたらすぐに泣かなければならない。食事の最中だろうが、歯を磨いている最中だろうが。もちろんわかってるのかと思っていたのだが、やはり中華系も本人たちは混乱するようだ。
親戚の人間関係はすべて関係によって呼び方が変わる。
日本なら年上なら、おじさんおばさんですむのに。いとこ叔母だのなんだの。
若いいとこは興味しんしんでカメラを回し、卒業制作にしようとしている。いとこは親戚の道士の見よう見まねで外国タバコを供えてみる。私の視点は何も知らないこのいとこの視点に近い。
道士の赤い帽子は祈祷用、黒い帽子は葬式用なのか。了解。またいらない知識が増えた。キョンシーでは黄色の帽子じゃなかったっけ??小さな布を腕につけて喪章にして喪服代わりにするのね。OK。
いとこの母とアイーの話のところでかかったのが日本語の歌!!これ、タランティーノの「キルビル」のラストにかかってた「恨み節」じゃないの。エンディングロールを見ていると確かに「恨み節」だった。
シートマスクの上からめがねをかける娘のアメイと、男二人もシートマスクをしているのが笑えた。
缶のタワーが倒れかけて大騒ぎするところも笑えた。わらわらしているのにアメイに仕事の電話がかかってきて英語で受けるところとかね。
父の恋人が現れ、というのだが、なかなかよくできたナースではないか。
爆笑、とはいかないが、味のある笑いの映画だった。てんてこ舞いする様子も、時間がたってようやく父の不在を実感するという現実。
コメント
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