ほぼ全ページにアフィリエイトリンクが存在します。アフィリエイト収入は、ドメイン・サーバー維持、ブログメンテナンス、ブログ執筆にかかるデバイス代、視聴料に費やし、ブログ読者さまに還元しています。

敗犬女王

5.0
スポンサーリンク

シュアンは32歳と6ヶ月のバリバリのキャリアウーマン。頑張ってきた甲斐あって、今や雑誌編集者としてチームをまとめる中間管理職だ。地位も名誉も手に入れた彼女、家事が出来なくても生活オンチでも、すべてお金で解決できる。たとえ部下たちに「スカートを穿いた男」と陰口をたたかれようとも、怖いものなんてない。 だが、そんな彼女にもただ一つ、弱味が。独りで過ごす夜、彼女を襲うのは「このまま独りぼっちでおばあちゃんになってしまうの? 私って実はただの負け犬かも?!」という不安! そんな彼女が出会ったのはルーカス、25歳のフリーター。 束縛されることを嫌い、風のように自由に生きる彼は、人生を楽しむ達人。 8歳も年下で、生き方も正反対の彼と最悪の出会いをしたシュアンだが、2人の関係は思わぬ方向へと動き出して…。

原題:敗犬女王-My Queen  2009年

感想

確か、酒井順子の「負け犬の遠吠え」が台湾では「敗犬女王」と翻訳され、本作はそこからではなかったかと思うのだが。「負け犬の遠吠え」は読んでいないのだが、なんとも自虐的なタイトルだ。北の自虐趣味に対する南からのアンサーソングのような作品だった。

思い込みで「Anego」系かと思い込んでみなかったのだが損をしていた。面白い面白い。
「Anego」のような「自称さばさばした」ねっとりとした女は嫌いなのだ。なぜ、日本では30をすぎた女の恋物語に不倫がつきまとうのだろう。まじめに生きてきた女に不倫なんてあり得ないのだが。しかも、ねっとりした感じの物語が多いように思うのだが、なぜこの年で結婚していないのか?愛想がないから。性格がきついから。ねっとりするよりもドライだろう。そっちの方が多いと思うのだが。不倫なんてありえないし、男に妥協なんてできない。

シュアンは、素直ではない。ぱっきりきっぱりしているせいで、損をしている。とても優しい人なのに、誤解されがちだ。誤解されなかった女はいるだろうか。いないいない。独身女はどこか「シュアン」でスッポン女なのだろう。

ルーカスは盧卡斯と書いて本名がルー・カースーなのだ。なので、「カースー」、「ル・カスー」と呼ばれるのだがなかなか間の抜けた音だ。実際、こういう名前の人はいるんだろうか。知る限り、年下君は年上女のかわいいところを見つけようとしてくれない。年下君は年上女に甘えようとする。けれど、こういう男は女の理想だもの。脚本は女性だろうか。

シュアンとルーカスは二人とも過去にとらわれている。シュアンはホッキョクグマのレスリーに。ルーカスはヒヤシンスのシャンユンに。そして二人とも突然現れたその影に動揺する。レスリーは生きてシュアンの前に現れるが、死んだシャンユンの代わりに妹のジアがルーカスの前に現れる。過去にとらわれ、踏み出せない。過去はコンフォートゾーンだからだ。傷つきすぎて、次に進めないのだ。二度と傷つくのが怖くて進めないでいると、一人でいるその過去は、誰も私を傷つけないコンフォートゾーンになってしまうのだ。そこでの会話は自分とするのだ。相手の温かな言葉は過去の言葉であって今の言葉ではない。

けれど、その過去から現実の人間が目の前にやってくると、コンフォートゾーンはコンフォートゾーンではなくなってしまう。過ぎ去った時間は二人を別の人間にしているし、相手をお互いに美化してもいる。もしくは、全く別の人間なのに、過去の影が見えてつらい。

じゃあ、どうするのか。コンフォートゾーンはもうない。
過去から現れた人間と次のコンフォートゾーンを作るのか、新しく現れた人間とコンフォートゾーンを作るのか。なかなか難しい問題だ。

25話で、ルーカスに振られたジアは、腹いせに自分の姉の死のネタをUWatchという雑誌に売って、殺人者ということにしてしまう。それをシュアンは「あなたはシャンユンの妹でしょ。どんなにシャンユンを愛していたか知ってるでしょ?」という。それにジアは「姉を本気で愛していたならば、シュアン姐を好きになるわけがないわ。愛したふりをして飽きたら捨てる」と返す。それに対するシュアンがいい。「やさしくされたことを素直に感謝したら?捨てられたと彼を責めるけど、責めるべきはあなた自身じゃない。あなたに問題があるのよ。昔から相手を責めて正当化したんでしょ。どうして昔のあなたに戻るの?弱虫になっちゃうの?好きな人に復讐するの?理解できないわ。本当にルーカスを好きだったの?好きだったらルーカスがどんな人かわかるでしょ。それができないあなたに好きなんて言う資格はないわ。」

そうだ。これが台湾ドラマの中の台湾女子だ。ドラマの中の台湾男子もその毛がある。ルーカスも恋敵のホッキョクグマ・レスリーとシュアンの間の誤解を解いてやるし。、レスリーだって愛するがゆえに悪役になろうとしてシュアンと別れる。台湾ドラマは「好きな人が幸せであれ」と思い、行動する人たちを描くのが本当にうまい。私は台湾ドラマの中のこういう人たちが好きだ。

上のシーンではシュアンは続けて「勇気はちょっとずつしか身につかないの。勇気がほしいなら反省なさい。ルーカスの汚名は私がそそぐわ」と言う。ただ、シュアンも恋愛に関しては勇気のあまりない人だった。

ルーカスと父親のわだかまりがすんなり解けるのは安易だったがそこにフォーカスした物語ではないからいいのだろう。

キャスト

シェリル・ヤンは、本作で初めて見たと思う。
とても面白い顔をしていると思った。ギャグマンガの「美人」のようではないか。

ワンレンの髪を横に膨らませているが、あの髪型はシェリル・ヤンのようにほっそい顔でなければ頭がでかく見えてしまうので要注意だ。髪を膨らませないとほんっとうに綺麗。台湾ドラマの衣装はまるでファッションの参考にならないが、このシェリル・ヤンの衣装はとてもいい。私もパンツルックが好きだが、やはり身長も足の長さも足りない。パンツルックはあれくらいの身長と細さと足の長さがあると映えに映える。日本ではキャリアウーマンがいくらモノトーンだろうがあんなにレースでふりふりの服は着ないだろうなあと思うのだが。

イーサン・ルァンは、「100%」と比べるとはるかに良い。「誠実な男」には似合っていたが、「軽い男」にはあまり見えないのがいけない。今回は好きなのだが、ドラマ受けというか、テレビ受けする人ではない。映画の方が似合う。テレビにはもっとフォトジェニックな男が似合う。ヴィック・チョウとか、ジェリー・イェンとか。ウーズンとか。この役はウーズンに振ると面白いことになったのではないかと思うのだが、彼は演技が下手だからなあ。

ウェン・シャンハオは、「秋のコンチェルト」で父親役で出ていて二度目。
「台湾の玉木宏」というほどよく似ている。ただ、「鹿男あをによし」以降の痩せぎすになって鹿化が進んだ玉木宏ではなく、「のだめカンタービレ」の千秋先輩がそのまま年を取った感じだ。

演技も悪くない。うまく過去からきた男を演じていた。六年前にすれ違った理由は少しやりすぎにしても、このキャラクターは描き方が上手かった。

楊雅筑は、台湾ドラマにしては暗く陰湿な「最強の美少女」ジア役だった。Cindyと名乗るし、ポストイット女と呼ばれて、謝ってばかりで「100%」のシンディを連想するキャラクターだった。けれど、Cindyが復讐を考える人ではないのに対して、この人は本当に陰湿で陰険。この女優さんは役のせいか、華がなかったのがなあ。

敗犬女王 DVD-BOX1

敗犬女王 DVD-BOX1

イーサン・ルァン, シェリル・ヤン, ウェン・シャンハオ, ヤン・ヤージュー
Amazonの情報を掲載しています
敗犬女王 DVD-BOX 2

敗犬女王 DVD-BOX 2

イーサン・ルアン, シェリル・ヤン, ウェン・シャンハオ, ヤン・ヤージュー
11,000円(12/07 03:07時点)
Amazonの情報を掲載しています
敗犬女王 DVD-BOX3

敗犬女王 DVD-BOX3

イーサン・ルァン, シェリル・ヤン, ウェン・シャンハオ, ヤン・ヤージュー
Amazonの情報を掲載しています

コメント

  1. […] 台湾ドラマの魅力は、技術のの低さも、演技の下手さもカバーしてしまう熱気なのに。その熱気、エネルギーで惹き付けられるのに。監督が「花様少年少女」のニウ・チェンザーなので期待していたのだが、これは駄目だ。撮影時期が冬だからなのだろうか?同じく冬の撮影だった「敗犬女王」にはちゃんと熱気が、命があったのに。撮影の技術力がいくら低かろうが(「流星花園」)、物語が微妙に陳腐だろうが(「花様少年少女」)、演技に問題があろうが(「花様少年少女」)、物語に命を吹き込む俳優たち。 […]

  2. […] 弁護士役で出て来るのがウェン・シェンハオ(「敗犬女王」のレスリー先輩)ではないか。さらに、終盤、屋敷の中庭で杉浦(リウ・ガンホン)と太郎が車の練習をするときに出てくる教習所のセクシーな先生の有美さんがシェリル・ヤン。ほほがまだまあるくて、肌がパンと張っている。口元が今と違うのだが、本作では歯がガタガタ。この当時モデルだったと思うのだが(そう言えば、「薔薇のために」のルー・ミンジュンも歯がガタガタだったなあ)、台湾は気にしないのだろうか。「敗犬女王」ではガタガタではなかったので、矯正をしたのだろう。 […]

タイトルとURLをコピーしました