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グーグーだって猫である

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天才漫画家の小島麻子は、アシスタントたちと徹夜で締め切りに追われていた。その翌日、麻子が愛猫のサバに話しかけると、冷たく動かなくなっていた―。ショックから麻子は漫画が描けなくなってしまう。そんな時一匹の小さなアメリカンショートヘアー「グーグー」に出会う。一緒にご飯を食べ、散歩をして、寝るという、なんとも幸せな毎日に、いろいろなことがうまく動き始めたある日、麻子は思いがけないことを知らされる・・・。

2008年

感想

監督は犬童一心。

ストーリーは散乱気味で、狂言回しのアシスタント(上野樹里)がいるのに小泉今日子の独白が入るのが興ざめだった。上野樹里の狂言回しによって「小島麻子」の社会的、客観的なポジション(天才漫画家。書いた漫画で人が癒される)があって、小泉今日子の独白で「小島麻子」の主観を表現しようとしたのだろうが、少しバランスが悪かったのだ。バランスという観点からは、上野樹里の男を巡るシーンはなくて良かったし、森三中(ちゃんと演技をしていたのだけど)はもっと出番が少なくて良かった。上野樹里と森三中のシーンの「笑ってね」というシーン(チャンバラとか面白かったけど)は一つ一つは笑えるのだけど、繋がって映画の中に入ると、ストーリーを散乱させるだけで逆効果だった。

正直なところ、この映画、というかおそらくこの監督と私の相性は最悪だ。あの「笑ってね」シーンのすべてをかっとしてしまえ、と思う私は、おそらく監督が「ね、これいいでしょ?」と入れたものがことごとく嫌いなのだろう。それでもすごいな、と思ったのは、セクシュアルなシーン一切なく(唯一、パンツ一枚の加瀬亮くらいのものだ)、ここまで性的な、(というよりも病気が生殖器官だというのもあるが)生殖的な臭いをさせることができたことだ。

「小島麻子」という人は仕事一筋に生きてきた人だった。編集者にプロポーズされても断った。それ以来、浮いた話はない。というタイプ。アシスタントたちが「小島麻子の血脈を途絶えさせるな!」と「21世紀の会」を結成してしまうくらいだ。その後、唯一現れた「男」が「せいじさん」だったみたいだ。そんな小島麻子大先生がいいな、と思った相手に加瀬亮というキャスティングは絶妙だ。この俳優本人がどんな人かはさておき、ぎらぎら感が薄く、飄々としたように見える、いわゆる「草食男子」っぽく見えるのだ。こういう男の人は引っ込み思案の女の人にも恐怖心を呼び起こさないのだ。怖くないから近寄れるのだ。現実には女扱いに慣れてない男の人と、扱われるのに慣れてない女の人なので、すれ違ってしまうだろう。本作でもそうだ。

上にも書いたが、居酒屋で再会したときには「せいじさん」は大先生に惹かれている。けれど、ちゃんと口説けずに「酔ったふりをしてパンツを脱ぐ作戦」を決行することになってしまう。そこでなぜか、大先生は猫に自分語りをしてしまうから興ざめして帰っちゃう。それでも徐々に距離を縮められたのにいきなりキスしようとするから大先生は恥ずかしがって冷蔵庫に隠れてしまう。男はきっと深く傷ついただろう。これで男的にはなし。でも、女的には十分あり。もっとムード出してよ、etc、というすれ違いだ。

この冷蔵庫に隠れるシーンはいわゆる「処女っぽい」というシーンだろう。これほどまでに奥手な女を上手く描いたシーンはないと思った。このシーンを見れば、好きだった編集者にプロポーズされたのを断ったのも、レストランで急にプロポーズされたから混乱したか、手順を踏んでくれなかったら怒ったか、という推測がつくではないか。原作を読んでいないのでこのシーンがあるか不明なのだが、もしもあるならばかなり長いらしい原作のエッセイ漫画からここを抽出したのはすばらしいと思う。

もう一つ、「性的に奥手」なのを表現したのは、倒れて病院で診察を受ける際に医者が「せいじさん」だったので慌てて服を着ようとしたシーンだ。やっぱり好きなのだ。好きな相手に体を見られるのが恥ずかしいのだ。(「せいじさん」的にほとんど興味をなくしているのは、猫を引き取ってくれ、と言われて、心配ないって、の次に「(小豆島に)猫を連れて半年くらいくればいいじゃない」とすら言わなかったことからわかる。)

冷蔵庫に隠れるシーンだけでポイントを稼いだ映画だった。
猫好きには猫があまり出てこないので不評なようだが、猫にこだわりはないので猫は私にはどうでもよかった。ただ、タイトルは変えても良かったと思う。

しかし、この映画という、短い時間でこの部分はなくていいような気がする。むしろ「めがね」的に、性的なところを切り捨ててしまってもいいんじゃないかと思う。

主演の小泉今日子は私の記憶のなかで顔と名前の一致する数少ない昔のアイドルだ。「キョンキョン」がこの人をさすこともわかる。この人の丸顔はCMで見慣れた顔だった。ただ、それ以上には良くわからず、「踊る大捜査線」の怪演が一番印象に残っている女優さんだ。「小島麻子」は病気が発覚するということもあってか細く、やつれた感じの役作りがしてあった。小泉今日子=丸顔の印象が強かったのでよく作ったなあと思った。
パーティの後、昔プロポーズされた編集者とのエレベーターで見送られるシーンでの「悪くないわね」といった表情のうまいことうまいこと。「小島麻子」という人物の痛さがうまく出ていた。加瀬亮がキスしようとして、さっと冷蔵庫の陰に隠れちゃうのもうまかった。もう一つ、「わたしの漫画はわたしを癒してくれない」という病院のシーンの暗い表情がうまい。

相手役は加瀬亮。台詞がいつにも増して棒読み。感情を出したくないのか、棒読みな男の人って確かにいるのだけれど、かなりひどい。この「せいじさん」も感情表現が苦手なのか、悪くないな、と思った女の人の家に上がるのに酔っぱらったふりをして担ぎ込まれてパンツ一枚でソファに寝そべらないといけないし、キスしたいのに上手く雰囲気を盛り上げられなくて、急にキスしようとするから相手は恥ずかしがって冷蔵庫の影に隠れてしまう。その直後の固まったシーンが上手いのなんの。そうしてみると、この棒読みなセリフ回しもありだと思ってしまうからいけない。

狂言回しのアシスタントは上野樹里。よくも悪くも「のだめ」のイメージが強く、この役も「のだめ」の延長に見えてしまう。少し舌足らずな発声のせいでよけいに子供っぽい。浮気した彼氏を追いかけ回し、制裁を加えるシーンの凶暴さも「のだめ」の延長に見える原因だ。2008年公開なので撮影は「のだめ」の後だ。わざと「のだめ」が入っていたのだろうか。上野樹里ではなく、監督の演出があまり上手くないと思ってしまう。

グーグーだって猫である

グーグーだって猫である

小泉今日子, 上野樹里, 加瀬亮, 大島美幸, 村上知子, 黒沢かずこ, 林直次郎
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