優等生のジェンシンとバスケットボール部の花形選手ショウヘンは親友同士。2人の仲は小学校時代に遡る。先生からの頼みで、問題児だったショウヘンと仲良くするよう言われたジェンシンが彼の面倒を見るようになる。以来、2人の絆は強くなっていったが、高校生になったある日、転校生がやって来て…。
原題:盛夏光年 Eternal Summer 2006年
感想
レスト・チェン(陳正道)はこれにつきるなあ。
二度目に見ると、間が悪いなと思ってしまう。小気味の良い「台北の朝」を見たせいか。ただ、前回はジェンシン側から見ていたのが、ショウヘン側から見られると少し印象が変わった。
おそらく、高校時代、体育館でホイジャに「あんたのせいよ!」「失恋したばかりなの」と言われたところでちらりとショウヘンの顔が映るのだが、唖然としたような顔をしていた。おそらく、そこでショウヘンはホイジャが失恋した相手はジェンシンで、ジェンシンが好きな相手が自分だということに気づいている。それでも、ショウヘンはホイジャが気になるし、ジェンシンを手放したくない。だから、ホイジャとつき合いながら、ジェンシンにつきまとうのだ。ただ、ショウヘンはゲイではないため、「友情」「親友」と迫るのだ。
小学校では嫌われ者だったが、運動神経の良いショウヘンは高校でも大学でも人気者になる。けれど、クラブで「好きで友達になったんじゃない。先生に命令されたからだ」とジェンシンに言われてショックを受けて事故を起こしてしまう。おそらくショウヘンは急に学級委員が仲良くしてくれるようになった理由も察していただろう。担任に命令されたら、その学年、小学校だけ友達でいればよかっただけなのに、裏切ることなくずっと一緒にいてくれたジェンシンだけが信用できる「友達」だったのだろう。ジェンシンがいなくては不安なのだ。それなのに、ジェンシンに「命令されたからだ」などと言われるからさぞ衝撃的だっただろう。
だから、ショウヘンは警察に迎えにきてくれたジェンシンを「襲う」のだ。それは、相手を失わずにいるための一種の自己犠牲だった。ジェンシンを失わないためにジェンシンが最も望むこと、自分を差し出したのだ。それでも、愛することはできなかったのだ。
「お前は一番の親友だ」
事実をもって、拒絶するしかない。
ホイジャはショウヘンをジェンシンの家に迎えにきたときに、何があったか気づいただろう。そのホイジャが愛する相手はジェンシンだろう。ずっとホイジャはジェンシンの写真を撮り続けていた。
ホイジャ役のケイト・ヤンは典型的香港美人だろう。終始仏頂面なのだが(香港人ってそんなイメージだ)、「いるよね、こういう仏頂面の美人さん。笑わせてみたいと男が群がっててさ、」という感じで決して大根ではない。
舞台は花蓮と台北。台北襲った地震の年の物語だ。
ごみごみとした台北と、花連の田舎っぷりが対比的だ。太平洋側の花連近辺の海岸の大きめの波が綺麗だった。七星潭かな、行ったよ。
コメント
[…] 「言えない秘密」ではちょっと不思議な美少女だったグイ・ルンメイは、本作では(端正だけど)ちっともかわいくない。無愛想でぶっきらぼうだ。いつも着ているのはぶかぶかでださいパンツだ。ひょろっとしていてセクシーさも何もない。「秘密」のシャオユーと同じ人?と思うくらいだ。セクシュアリティがどこにあるのかがわからなくて、「わたしとキスしたい?」と自分に気がありそうな男(シーハオ、体育教師)に聞いてまわるのだが、ちっともセクシーではない。むしろ、痛々しい。(それにつけ込もうとしないシーハオ、良い人だ。体育教師はどうなんだろう。よくわからない。)ただ、セクシュアル・マイノリティの悩みがあまり上手く伝わってこなかったのが残念。「花連の夏」の方がその点はうまかった。 […]
[…] 気になったのは、90年代なのに非常に画一的な感じの教育を行っている点だ。もちろん台湾の学校は知らない。けれど、これまで見てきた学園ものの中で学校がかなりリアルなのではないだろうか。そういえば、同じく90年代を描いた「花連の夏」では「髪の毛が長い」とか言われるシーンがあった。90年代の女子高生だった私は、そういう体験はない。せいぜい、髪の毛の色なのだが、成績さえ良ければ目をつぶる学校(進学校ってそうじゃない?)なので、あんな感じではなかった。今もなのだろうか。なんとなく、日本の80年代あたりの学校の雰囲気だと思う。教室には蒋介石の肖像が掲げられて、標語まで張ってある。そうだ、確かに小学校ではクラスごとの標語があったかな。「あいさつをしましょう」みたいな感じだけれど。軍服の教官がいるのは軍事演習の授業があるからなのだろうか。もしも、あの蒋介石を天皇に変えたら、もろに日本の戦前の学校じゃないかと思った。 […]