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The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛

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1988年、ビルマ――。英国で幸せな家庭生活を送っていたアウンサンスーチーは、母の看病のために久しぶりに祖国・ビルマ(現ミャンマー)に戻ることになった。そこで目にしたのは学生による民主主義運動を軍事政権が武力で制圧する惨状・・・。そんな中、「ビルマ建国の父」と死後も多くの国民から敬愛されるアウンサン将軍の娘の帰国を聞きつけた民主主義運動家たちがスーチーの元に集まり選挙への出馬を懇願する。不安を抱きながらも民衆の前で立候補を決意するスーチーだったが、それは、ビルマを支配する軍事独裁政権との長い闘いの始まりであり、愛する家族とのひき裂かれた辛く厳しい人生の始まりを意味していた。

The Lady 2011年

感想

監督はリュック・ベッソン。

確かに、家族愛と祖国愛に引き裂かれるのだが、「引き裂かれた愛」というタイトルは如何なものかと思う。非常に安っぽいものにしてしまった。

家族愛の観点からは、妻を全面的に支援する夫、夫を信頼して戦う妻、の夫婦愛には胸を打たれる。片方が飛躍するときに、もう片方が疲れて出て行ってしまう、というのもよくあるのに。ドー・スーがドー・スーであるのはアリス博士のおかげなのだ。博士のプロモーションなくしてはノーベル平和賞はなかっただろう。

祖国愛も、銃口の前に進んでいく静かな気迫あふれる姿は美しい。ミッシェル・ヨーはよくやったと思う。

実は、スー・チーのなよっとしたような、媚を売るような仕草が苦手だ。計算され尽くした「弱さ」であり、「こんなに弱い者を軍政は」と言っているように見えるのだ。亡くなったパキスタンのブットのようにシャキッとしても良いだろうに、と思うのだ。だが、しゃきっとしていたからこそブットは暗殺され、なよっとしていたからこそ、スー・チーを殺すことができなかったのかもしれない。

ミッシェル・ヨーといえば、アクション女優だ。さばっさば系の姐御なイメージを持っている。だから、ブットは演じられてもスー・チーは演じられないのではないかと思っていた。見事に、私の嫌いななよっとした様子を再現していた。さすが。

伝記映画には早過ぎたね

伝記映画は往々にしてヨイショ映画になることが少なくない。評価の固まった、亡くなった人なら良いのだが、本作のようにその後の活動いかんによって評価が変わりうる、存命の人物を扱うには少し早すぎやしないかと危惧した。

実際に、2010年後半から2020年代にかけて、スー・チーの評価はひっくり返ったのではないかと思う。

ドー・スーがこれまでしてきたことを否定するつもりはない。けれど、問題はこれからなのだ。ガンジー主義ゆえ、非暴力非服従を貫く軟禁生活から解放されたが、何ができるのだろう。
「これまで多くの血が流れた。だから引けない」というのが博士とスーの信念だった。スーは民主化運動の象徴だ。しかし、スーは変節したのだろうか。そうではなく、より現実的になった、ということなのだろうか。

軍政は、いや、ティンセイン政権はうまくスー・チーを利用したなと思う。ネームバリューがあり、そして民主運動の象徴的な人物だ。その人を軟禁から解放し、しかも、国会議員にもした。自由に外遊させて外資の呼び込みもさせた。

スー・チーは憲法を改正して自分が大統領になる野心を隠そうともしなかった。年齢的な問題もあるだろう。民主化を見届けてから死にたい、そんな思いもあるかもしれない。南アフリカのマンデラが大統領になったように、自分も、と。

そして、大統領になったはいいが、ロヒンギャ問題は解決できず、むしろロヒンギャ民族を弾圧した。これで、スー・チーを支持することは決してできない。

スー・チーが訴えたことは、人権である。ところが、そのスー・チーがロヒンギャの人権を侵害するんだから、もうこのような人物を支持できるわけがない。目くそと鼻くそというレベル。

スー・チーが自分から自滅していったのだもの。軍側がクーデターを起こしもするでしょうよ。

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