ナルニア国シリーズは、(指輪物語の)トールキンの盟友でもあった、C.S.ルイス原作。もちろん、瀬田貞二育ち。
児童文学としては古典中の古典なのですが、映画は当たらなかったですねえ。それなりに忠実に作ってたのに。生前のC.S.ルイスが懸念した通りの結果になりました。私はヨーロッパの神話に多少詳しいのだけど、そのきっかけが、ナルニアでした。神学者でケンブリッジ大学の中世イギリス文学の教授だった人が書いただけあって、このシリーズは「宗教」の話です。そこが映像化して当たらなかった理由でしょう。
「アスラン」が「神」そのものだから。「さいごの戦い」では「他の名前がある」として別の一神教の存在を否定しないし、「馬と少年」で出てくる隣国の神、「破壊神タシ」もアスランは自分のことだ、と言う。書かれた当初は、イギリス人に向けて書いていたのに、それがイスラム教徒も読む可能性があり、映像化すると目にする可能性がある。これがねえ、受け入れられない人たちは多いと思うんですよ。
実は、高校生になって世界史の時間にユダヤ教からキリスト教、イスラム教と派生していくことを知って、アスランが言っていることはそういうことか、と腑に落ちたのだ。(日本人の私は、ふーん、で終わった)
いやー、今後どうするつもりなんでしょうね。続けるつもりなんでしょうか。もう、ルーシーを演じた女の子も大きくなっただろうな…
ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女
第二次世界大戦下のイギリス。ペベンシー家の4人の兄妹-ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーは、ロンドンの空襲を逃れて田舎に住むカーク教授に預けられる。古めかしく広大な教授の屋敷は、子供たちにとって最高の探検場所。好奇心旺盛な末っ子のルーシーは、“かくれんぼ”をしているうちに、空き部屋で大きな古い衣装だんすをみつける。見えない力に導かれるかのように衣装だんすに入り、毛皮のコートを押しのけて奥に進むと…いつしかルーシーは雪に覆われた真夜中の森に立っていた。そこは、ナルニア-言葉を話す不思議な生きものたちが暮らす魔法の国。かつて、偉大なる王アスランが作ったこの素晴らしい国は、美しく冷酷な“白い魔女”によって、100年もの間、春の訪れない冬の世界に閉ざされていた。逆らう者を石像に変える“白い魔女”への恐怖と、心まで凍てつくような寒さの中で、ナルニア国の住人たちはひたすらに王アスランの帰還を祈り、語り継がれてきたひとつの《予言》に希望を託していた。 《二人の「アダムの息子」と、二人の「イブの娘」が「ケア・パラベル城の4つの王座」を満たす時、白い魔女の支配は終わる…》 ルーシーが衣装だんすを通り抜けた時、ナルニア国の新しい時代は幕を開けた。時に、ナルニア暦1000年-ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシー…二人の“アダムの息子”と二人の“イブの娘”の壮大なる旅が、いま始まろうとしている。だが、ナルニア国の運命が自分たちの幼き手にゆだねられていることを、彼らはまだ知らなかった…。
The Chronicles of Narnia: The Lion, the Witch and the Wardrobe 2005年
感想
監督は、アンドリュー・アダムソン。
原作は、第一作目の「ライオンと魔女」。ナルニア国の時系列では二つ目(時系列で一番古いのはペベンシー兄妹が疎開する先の、カーク教授の子供時代を描く「魔術師のおい」)。
白い魔女がエドマンドを誘惑するときに使った「ターキッシュディライト」というお菓子がある。有名な話で、日本の子供には馴染みのないものだから、って瀬田貞二は「プリン」にしちゃったの。で、これは「ターキッシュディライト」なのだということは知っていたので、私は香港のMarks & SperncerでTurkish Delightを見つけたから食べてみた。歯にしみるくらい甘かったです。
ティルダ・スウィントンの白い魔女が、イメージ通りで本当に笑った。
アスランはキリスト教の「神」。もちろん。裏切るエドマンドはユダ。ところがそのユダが「許される」というところを覚えておくべし。そしてルーシー(Lucy)という英語の女性名は、ラテン語ではLucia。意味は光(lux)。もちろん、希望の光。誘惑する白い魔女は、アダムを誘惑する蛇でもある。この「蛇」も覚えておくべし。
ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛
“伝説の4人の王”として、ペベンシー兄妹が築いたナルニア国の黄金時代から1300年。今や戦闘民族のテルマール人が支配するこの国では、先王の弟ミラースが摂政を務め、正当な王位継承者であるカスピアン王子の暗殺を企てていた。危機一髪で城から脱出したカスピアン王子は、逃げ込んだ森の奥深くで、迫害の末に息を潜めていたナルニアの民たちと出会う。そして、ミラースの配下に追い詰められたカスピアン王子が吹いた角笛は、ロンドンで普通の学生として暮らしていたピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの4人を再びナルニア国へと呼び寄せた! すっかり荒廃したナルニアに驚く4人は、カスピアン王子と運命的な出会いを果たす。そして、ナルニア国の真の平和と繁栄を取り戻すため、暴君ミラースに立ち向かって行く―。
The Chronicles of Narnia: Prince Caspian 2008年
感想
監督はアンドリュー・アダムソン。
原作では二作目の「カスピアン王子のつのぶえ」。時系列としては、四つ目。つまり、ピーター王たち四人の治世期を描いた「馬と少年」をすっ飛ばしやがった…。
カスピアンが吹く角笛は、かつて弓矢の名手のスーザン女王が持っていた角笛。角笛に引っ張られてペベンシー家の四人はナルニアに戻る。ということで、ここでモチーフになっているのは、アーサー王伝説や、バルバロッサ(フリードリヒ1世)であったり。「我が国に危機が訪れれば、必ずかつての英雄王が復活する」という伝説ですね。
テルマール人がローマ人かゲルマン民族、おそらくゲルマン民族と踏めば、もの言う動物やタムナスさんみたいなと半人半獣(ギリシャ神話に出てくる)と暮らしたピーター王の治世の頃は、ケルト人的な設定と踏んでいいんでしょう。
ナルニア国物語/第3章: アスラン王と魔法の島
ペベンシー兄妹のエドマンドとルーシーは、いとこのユースチスとともに船の絵画を見ているうちに、ナルニアの世界へと引き込まれる。気づくと彼らは、懐かしいカスピアン王子やもの言うネズミの騎士、リーピチープたちの乗る帆船に乗船していた。待ち受ける魔法、不思議な生き物や邪悪な影からナルニアを守るため、そして、友であり、ナルニアの保護者でもあるアスランとの再会を果たすため、彼らは海の果てを目指す――。
The Chronicles of Narnia: The Voyage of the Dawn Treader 2010年
感想
監督はマイケル・アプテッド。アンドリュー・アダムソンはプロデューサーに。
原作は、「朝びらき丸東の海へ」。カスピアンの治世下での話。
Dawn Treaderが朝びらき丸でいいかは別なんだけど、このタイトルはねえだろ。と思った。
原作の中では「朝びらき丸東の海へ」は、シリーズ後半の主役のユースチスをナルニアにつれてきて、カスピアンにひき会わせるのが目的のような物語だった。(シリーズ前半の主役はルーシー)。
原作に忠実だったこれまでと異なり、オリジナル色が強い。カスピアン王の物語にしたかったというわけ。
原作にない緑の霧!ということで、これは「銀のいす」の「緑の魔女」。なるほど。原作ではリリアンの母親(カスピアンの王妃)が出てこなかったが、これで見つかったわけだ。さらに「白い魔女」と「緑の魔女」は同じ、という設定のようだ。シリーズ後半、ユースチスとともに主役になるジル・ポールも名前だけ出てくる。ぜひ、次も。
ところで、CG技術はここまできたかと思う。逆立つ波。水のしぶき。
なんと、リーピチープの声はサイモン・ペグだったか。
ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島 [Blu-ray]
最後に時系列に並べますかね。
カーク教授がなぜ魔法のワードローブを持っていたのか。世界の創造(六作目)
ペベンシー家の四人がナルニアへ行く。(一作目)
ピーター王と三人のきょうだいの治世期にあった、ナルニアの周辺国の物語。(五作目)
カスピアンの呼びかけに応えて、ペベンシー家の四人はナルニアに再び戻る。(二作目)
エドマンド、ルーシー、そしていとこのユースチスは航海中のカスピアンと再会する。(三作目)
ユースチスはジルとともにナルニアへ。カスピアンの息子のリリアンの即位を助ける。(四作目)
ユースチスとジルは、ナルニア国のチリアン王に呼ばれるのだが…。(七作目)