1911年、辛亥革命に中国じゅうが揺れた年。
緑濃い水の都・蘇州の富豪パン家には阿片が煙り、当主の愛娘ルーイーも阿片に酔いしれている。この家に両親を無くし若旦那に嫁いだ姉を頼ってきた聡明な少年チョン・リァン。
だが彼は阿片中毒の若旦那に虐待され、最愛の姉との一夜で”男”にさせられたことに絶望して屋敷を飛び出した・・・。
時は過ぎ、20年代の魔都・上海。粋なスーツに身を包んだ美青年が、颯爽とダンスホールを駆け抜ける。
人妻と逢引しては脅迫する名うてのジゴロ、シャオシェこそ大人になったチョン・リャンだった。
上海マフィアの一員となり、甘いマスクで平然と女をだましながらも、姉に似た女に安らぎを求めた。
屈折した心を抱える彼にある日ボスから下った指令は、パン家の当主の死で財産相続人となった若旦那の妹、ルーイーを誘惑することだった。
原題:風月 1996年
感想
子役は正面から見るとレスリーに似ていないのだが、角度によってはとても横顔がレスリーに似ている。
レスリーに切り替わってからのカードを弄る手の綺麗なこと。レスリーの手??さすがはミスター・エレガンス。あの声で「うぉ・あい・にー!」って叫ばれたら落ちるぜ。落ちないかい?
ただ、髪の毛が・・・あなたって意外に男性ホルモンが多かったのね・・・(そういえば、香港男子って若くても結構髪が薄い人にお目にかかる・・・)特典のインタビューでは短髪だったが、そっちの方がいい。
コン・リーに覆い被されたときのレスリーの恐怖顔!これをやれる俳優は少ないだろう。そして半年かかった女に「愛していたの?答えて?」と言われたときのどうしようもない顔。「あの女を愛していたの?」とコン・リーに言われたときの顔も、コン・リーに「私を愛しているの?」と聞かれて微かに首を横に振るところも。コン・リーに振られて「うぉー・あい・にー!」と叫ぶところも。「出て行くんだ」の穏やかで晴れやかな顔と、屋敷に戻ってからの泣き顔と。レスリーでなければ、こう上手くいかない。「僕のために書かれた脚本だから僕しか演じられない!」と言い切るだけある。
つまんないけど。
「愛を語る顔」と監督に言われるし。それも正しい。人を深く愛するからこそ、心を閉ざさざるを得ない忠良。ジゴロとして引っ掛けた女たちを瞬間瞬間彼はきちんと愛している。クラブに売られてきたのだろう田舎娘にも、半年かかった女にも、如意にも。もちろん姉にも。だから女たちは忠良にすがるだけで、あの強烈な中国娘たちが忠良を刺さない。忠良を殺すのは端午。忠良のために如意によって使い捨てられた男だ。
「犯す男」が「犯される男」に変わる
男というものは女から見れば常に「犯す存在」だ。忠良は彼はジゴロだ。女を弄ぶ男。まさに「犯す男」。しかし、同時に彼は「犯される男」でもあった。義兄によって、姉によって、如意によって犯される男。上海によって、時代によって、犯された男だ。レスリー・チャンという俳優の面白さの一つはここにある。一つの役の中で本来「犯す存在」であるはずの男が、「犯される存在」になる。レスリーの場合はその切り替えが極めて自然なのだ。
だが、レスリーはレスリーのナルシスティックな世界、コン・リーはどっしりとしたコン・リーの世界に留まったまま、悲劇が起きる。いわば、別の物語を持ってきてマッシュアップしたような感じだ。ラブシーンはレスリーは半年かかった女と、コン・リーは端午との方がぴたっときていた。そしてそれは正しい。端役にジョウ・シュンを見つけて、ジョウ・シュンで良いのでは?と思ったのだが、どっしりとしたコン・リーで正解。ラブシーンが平行世界で正解なのだ。
「犯す女」が「犯される女」に変わる
如意という女はおおらかですべてを包み込んでしまう女だ。かつ、主人として忠良を、端午を文字通り犯す。妾たちを追い出し、家の顔を潰すことによって新たな支配者である「犯す存在」となる。しかし、「男の街」上海で忠良に振られ、端午に文字通り犯され、文字通り「犯される存在」に戻る。蘇州に戻れば縁談。他家に嫁ぐことによって「犯される存在」になるだろう。主人であったはずの如意は、実際にはただの夢みる少女だった。終盤で「私は結婚を夢見てきた」と言っているではないか。
細身のジョウ・シュンに「あなたがどんな男でもいい。私を愛してる?」と言われても怖さはない。華奢なレスリーに対してあの恰幅の良いコン・リー(本当に二十歳そこそこに見える)が「あの女を愛してた?」「私を愛してる?」とたたみかけるから、怖いのだ。そこで如意にはそもそも忠良への愛はないのがわかる。世間知らずの如意が愛したのは「愛する女」、いやむしろ「犯す女」である自分だ。だから、如意と忠良のラブシーンは平行線で良いし、恰幅が良くて中国女子の底知れぬたくましさを体現するようなコン・リーで正解なのだ。
本来の主役
そして、物語の本当の主役は端午だ。物語らない主役の端午。
下男(=犯される存在)として如意に犯される男。それが上海にきて如意本人を犯す男になる。上海で端午の中のパラダイムシフトがおきた。もしも上海についていかなかったら、嫁に行く如意の男関係を黙っていただろう。如意の面子をつぶすことになってでも嫉妬心を表現して良いと思う、「犯す存在」と化した。
その他
まだ蘇州に戻る以前のレスリーにバラの花を渡される田舎娘がいる。あれ?と思うとなんとジョウ・シュン。ダンス・ホールに戻ったレスリーと踊ってるし。レスリーに乱暴に振り回されていたけれどなんだかおいしい役だ。もうこの頃女優していたのね。
特典はレスリー部分では全部英語だった。監督もだったな。監督の英語がすごく綺麗だったのが意外だった。
このセットで「上海グランド」も撮ったんだっけ。他の20年代30年代の作品でも使ったのかな。