楽学校の転校生シャンルンは、登校初日に旧校舎のピアノ室で、神秘的で美しい曲を弾くシャオユーと出会う。曲名を尋ねるが、シャオユーは「誰にも“言えない秘密”よ」と耳元でささやく。ミステリアスなシャオユーに惹かるシャオユン。二人はやがてお互いを想いあうようになる。しかし、ある誤解をきかっけに、シャオユーは姿を消してしまう。理由のわからないシャオルンは、偶然シャオユーが写る古ぼけた写真をみつけ衝撃を受ける。そして、出会ったときに聞いたあの曲に隠された”秘密”にきづく・・・運命と出会いと、あるピアノ曲に隠された秘密が奏でる感動のラブ・ファンタジー。
原題: 不能說的·秘密 2007年
感想
監督は主演のジェイ・チョウ(周杰倫)。脚本も、音楽もジェイ。
ただ、全部一人でやったわけではなく、脚本はトー・チーロン(杜緻朗)がかなり手を加えているだろうし、途中で一気に話が変わってしまうところも、やっぱりトー・チーロン。撮影は、リー・ピンビン(李屏賓)でこの二人の力によるところが多そう。音楽も、タイのTerdsak Janpanがかなり作ったんだろうしなあ。
これは香港で買ってきたVCDで初めて見た。VCDの良いところは、中国語字幕と英語字幕が一度に出るところだ。意味不明な部分もお互いに補いながら読めば、たいていのところはわかるのだ。そして、日本でDVDが出て日本語字幕で見直したが間違ったところはなかったように思う。
「ピアノ王子」として出てくるユーハオが編曲したものも使われている。ジェイのこれまでの人脈に加えて、プロデューサーのビル・コンがジェイのメンツを保つため、というところが大きそう。
半ばまでは結構だるい。始めの50分はいちゃいちゃし続けている感じだ。面映くなるような、初々しい恋愛模様だ。ああ、この女の子は幽霊なのね。ラブストーリーと聞いていたけれど、幽霊奇譚でこの男の子は殺されるんだわ、と思ってディスクを変えると一変してSFものになってしまった。言ってみれば途中で話が変わってしまうようなものだった。後にトー・チーロン脚本作品を何本か見るのだが、ああ、この人は一本の映画で二つ話を作りたいのかあ、と思うようになった。
淡水
舞台はジェイの母校の淡江高級中学と近くの淡江大学だ。このキャンパスかは知らないが、グイ・ルンメイは淡江大学の出身だ。超内輪なのだ。ロケがしやすかったかもしれない。絵はリー・ピンビンらしく、光の使い方がとても上手い。途中までだるいのだが、絵を楽しむことができる。
この近辺まで行ってきた。

なぜか中華映画には梅林茂が音楽担当をすることが多い。けれど、ジェイが選んだのはタイのTerdsak Janpan だった。おそらくもろにクラシック畑の方なのではないかと思うのだが、これがジェイ作曲部分と合って極めて成功しているのだ。サントラは買っても損はしない。
ジェイ・チョウ
主演のジェイ・チョウは人前で二つの顔を見せる。内気なシャイボーイと、オレサマだ。きっと内弁慶なのだろう。だから、シャイボーイとオレサマが同居しているのだ。この映画では見事にシャイボーイの面で演じている。そのせいで「ジェイ・チョウ」以外には見えない。英語字幕もシャンルンは「Jay」と出ている。映画の中でもダンスシーンやピアノを弾くシーンではちょっとオレサマな顔をているし。ただ、あごが青いのだ。あごの青い高校生はなかなかいないと思う。
グイ・ルンメイとアリス・ツォン
ジェイよりもシャオユー役のグイ・ルンメイが映画を引っ張るのだ。この影のある、ミステリアスな美少女ぶり。けれど、何もしないがチンイー役のアリス・ツォンも捨てがたい。名前も見事でチンイーは晴衣。英語ではSky。シャオユーは小雨でRainだ。はっきりと明るく健康的な感じのアリスは大した演技はしないのだが、はっきりと自分は病人だ、と認識している女の子からするとあのタイプは眩しすぎて気後れしてしまうだろう。しかも、その子は自分のことを歯牙にもかけないのだ。だから明確に「シャンルンが好きだ」と示すチンイーに対して、シャオユーは恐れをなして焼きもちを焼くし、シャンルンにチンイーがキスをしただけでショックを受け、チンイーのつけていたブレスレットをシャンルンがしていたのを見て喘息を起こして死んでしまうのだ。いわば、二人の女の子にジェイが振り回されるという話なのだが、ルンメイとアリスでなければルンメイの側からの一方的な緊張感は生まれず、ただのだるい映画になってしまっていたと思う。
アンソニー・ウォン
父親役はアンソニー・ウォン。「頭文字D」と同じ組み合わせだが、今度の父親は割にまともだ。シャオユーが過去の世界で受ける打撃は「秘密にして」と言ったのに秘密を守らなかったこの父親のせいだった。シャオユーはシャンルンがこの先生の息子だということを知っていたのだろうか。
残る謎
謎はまだ残るのだが、いくつかはこの父親にある。シャンルンの母親はどこに行ったのだろう。シャンルンはどうして父親が長年教える学校に転校してくることになるのだろう。
過去に戻ってシャオユーに出会い直すシャンルンはシャオユーと同じ卒業アルバムに収まっている。最初にあった人にしか自分の姿は見えない」というのはどうなったのだろう。過去へ行く場合と、未来へ行く場合と、変わるのだろうか。それとも、未来にはピアノがなくなってしまっているから、そこからきたシャンルンはピアノが消滅する直前までしか戻ることができない。だから、シャンルンは他の人にも見えるようになるのだろうか。
そんなもの、どうでもいいのだろう。
美しい絵と、清楚な音楽に酔う、そんな映画だ。
シャオユー
チンイーとシャンルンが仲良くしているシーンで流れる女の子の歌声だが、歌っているのはアリスではない。ジェシー・ジャン。江語晨といって、ジャン・ユーチェンと読むらしい。ジェイが撮った「パンダマン」で主演を務めるのだが、長くジェイの彼女と呼ばれていた人だ。この「パンダマン」でのこの人の役は「シャオユー」。「江小語」だった。私の耳には「小雨」も「小語」も同じく「シャオユ」(伸ばさない)に聞こえるのだ。この映画でのジェイの名前は葉湘倫。「葉」はお母さんの名字だ。グイ・ルンメイの「シャオユー」の名字は伏せられているが、「江」だったのかもしれない。