30年代の北京を舞台に、『オペラ座の怪人』を基に描かれたラブストーリー。旅回りの一座が辿り着いた劇場で起きたかつての美しく哀しい恋物語が語られる。
原題;夜半歌聲 1995年
感想
監督はロニー・ユー(于仁泰)
レスリー・チャンが北京語を喋ってる。舞台の北京らしくきちんと巻いてる。この声は吹き替えじゃないねえ。トニー・レオンなんか北京語は吹き替えなのに。
「覇王別姫」が1993年なので、それ以降ならお手の物だったのね。
メタの「ロミオとジュリエット」のミュージカル部分はレスリーのコンサートDVDを見ているようだ。サビで頭をくるっと回すところとか。パフォーマー、エンターテイナーだったレスリー・チャンの面目躍如というところだ。
ピアノは本人の音ではないだろうけど。怪人になる前のピアノを弾く様子が本当に優雅な感じ。そういえば、作曲は本人らしいので弾けるのかな?腕の動きとか正確だったし。音楽も優雅で美しい。どうやら、レスリー作曲。なんとなく作詞の方をしそうだと思ったけれど、レスリーはメロディアスな曲をいくつも作曲して歌っている。
火事直前の「なあに?」という表情もとっても良い。タンピン時代の優雅さとウェンチンたちのひどい芝居の対比がみごと。現代(1936年)がセピア色で、過去(1926年)がカラーなのも。
ウェイチン部分を歌っていたのはウェイチン役の俳優ではなかったみたいだ。
結局、レスリーによる、レスリーのためのレスリー映画だった。ラスト、ユンエンの目が見えなくなったというのはご都合主義も良いとこだと思ったけれど。台湾ものなら「みにくくなった男を愛する女」の物語にしていくのだろうけれど、それもまたご都合主義。ただ、「美しくないは彼女に会えない」というタンピンは一種リアルだ。レスリーにとって「自分の美しさ」が半端でなく重要だったのだろう。言わば、「僕が美しいのは当たり前で、美しい僕を美しく、どうじに醜くとって頂戴」というのがレスリー・チャンだ。それを踏まえれば「タンピン」がもう少しリアルに迫ってくるのだが、そこまで求めてはいけないだろう。
だから、「レスリーによる、レスリーのための、レスリー映画だ」というのは糾弾である。
音楽はきれい。パフォーマンスをするあなたもきれい。26年のあなた好みの凝った衣装もうつくしい。
しかし、映画はあなたのコンサートではない。あなたは普段、映画の中で「レスリー・チャン」を演じない。自己の一部分をうんと、うんと拡大して役を取り込む。しかし、今回は「レスリー・チャン」を演じてしまった。それが失敗。メタのミュージカル部分に留めるべきだった。
レスリー熱の最中でもまだ突っ込むことができるだけ良かった。
それでも、95年。もしも私が当時これを見ていたら、レスリーにハマったと思う。
今回の女優さん、あまり綺麗な人ではないけれど発狂部分とかすごい。