Glee (シーズン5途中まで)

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オハイオの田舎町にあるマッキンリー高校。スペイン語教師・ウィルははみ出し者の巣窟、合唱部の再生を目指す。

シーズン1&2

glee/グリー シーズン1

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舞台はオハイオ州の片田舎にあるマッキンリー高校。かつての輝きを失ったグリークラブで、負け犬のレッテルを貼られた冴えない落ちこぼれ部員たちが、新米教師ウィルと一緒に州大会優勝を目指すことに。しかし、そんな彼らに次々と困難が立ちはだかる。さらに彼らの邪魔をする勝ち組チアリーディング部とアメフト部の顧問と生徒たち。果たしてグリークラブの行く末は?

glee/グリー シーズン2

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新学期スタート、新キャラ登場で新たな展開が……。目指すは州大会よりさらに上、ニューヨークで開催される全国大会。成長した負け犬たちのリベンジが始まる——。

感想

アメリカドラマは結構好きなのだが、テンポもいいし、ストーリーもよく練られているものが多い。長寿番組になるのが前提で、しかも、ケーブルテレビ、つまり、有料放送が前提なので無料の地上波が前提の日本とは金の掛け方が違うというのもあるだろう。

私が初めてこのシリーズを見たのはNHKのBSの深夜一気放送だった。つまり、シーズン2の途中から。それでもついて行けちゃうのがアメリカドラマの良いところだ。

シーズン2から見ると全部ネタバレされてからシーズン1を見ることになるのだが、そういうものだと思っているので構いはしない。

途中から見始めたせいで、主人公はカートと思ったら、レイチェルらしい。確かにシーズン1はレイチェルとフィンが縦軸になり、周りが回っていく。しかし、シーズン2は、フィンに恋するカートが縦軸になり、レイチェルとフィンは横軸になる。

そして、グリーは何でも歌って解決しちゃうファンタジーなのだが、人物造形だけは極めてリアルだ。

レイチェルとフィン

レイチェルの自意識過剰さ、痛さはおそらく身に覚えがある人がほとんどではないだろうか。トップになりたいのだけど、トップになれない、学校で認めて欲しいのに認めてもらえない、そんな歯痒さ。好きな男の子にはお似合いの彼女がいるし。

フィンは極めて「アメリカ的な男の子」だ。背が高く、アメフトの選手で「リーダー」として振る舞うことを求められる、そんな男の子だ。実際にはダンスは下手だわ、ちょっとださいし、間が抜けてるのだけど。こういう男の子はいなかったな。

クイン

フィンの元彼女、クインも極めて「アメリカ的な女の子」だ。もちろん、チアリーダー。日本の保守層は性的なものを排除しようとするのだが、アメリカの保守層は「男らしく」「女らしく」の中に性的なものまで含む。そのくせ、禁欲クラブまであるのが日本人からすると笑ってしまうが、本人たちは大真面目。高校生の性欲を無視しようとする日本よりも、高校生の性欲を認めて、その上で禁欲しようとするアメリカの保守の方が健全だと思うけど。

クインは美人で意地悪なチアリーダー部のキャプテンにして禁欲クラブの部長なのだ。その矛盾をクインの妊娠によって突くのがこのドラマの面白いところだ。しかも、相手は彼氏のフィンではなく、フィンの親友、パック。クインの口はあひる口で、アイメイクはきゅっとアイラインを上につり上げてつけまつげをしている。なんとなく日本の女の子のメイクっぽいのがちょっと笑えた。

パックとサンタナ

パックの暴走癖は日本にもいるような、「止められない」子たちにも通じるだろう。朝起きたときは良い子になろうと思うのだが、二時間目にはゴミ箱にださい子たちを放り込むような、そんな男の子だ。正直なところ、いわゆるヤンキー層とは分断された生活を送ってきたせいか、こういう男の子が「セクシー」というのが正直理解できない。

パックのセフレとして登場するサンタナはラテン系美女だ。色気ムンムンなのだが、シーズン2ではいらいらしている。シーズン1では金髪碧眼の美女クインに対してラテン系の美女、といった感じで対比されていた感じだったが、ブリタニーが出てきてからはブリタニーと小指を絡ませるシーンがシーズン1からずっとある。そして、サンタナはある日気づくのだ。自分はビアンだと。これは唐突でちょっと不自然だ。しかし、性的であることが求められるアメリカの田舎では、否が応でも早い段階で自覚せねばならないのだろうか。

カートがゲイであることに気づく苦しみがないのをサンタナで描くのだろうか。サンタナを見ていて思い出すのはケヴィン・スミスの「チェイシング・エイミー」だ。あれも、ビアンな女漫画家に恋した男の物語で、女漫画家は「レズだ」「男はあんたが初めてだ」というくせに、高校時代は男なら誰とでもやりまくってた、というので男が衝撃を受けるシーンがあった。よくわからなかったのだが、サンタナはあの女漫画家と同じなのだろうか。自分がなんなのだかわからない葛藤を抱えたわけだ。アイデンティティクライシスはつらいね。

ブリタニーとアーティ

サンタナが恋するブリタニーはおばかちゃん。綴りができない、とかそんな感じ。シーズン2ではブリタニーのキャラクターはおばかちゃんだけど、心の底からアーティーを愛している。けれど、サンタナといちゃいちゃするのは好きだけど、相手は男ではないから浮気ではないと思っている、とかなり定まっているのだが、シーズン1の途中から現れるが(それも、転校生として出て来るのではなく、チア部のクインの取り巻きとして出てくるのがアメリカドラマの面白いところだ)、台詞はほとんどなく、男女構わず誰とでも寝る、という役だ。キャラクター設定が不安定だったが、安定してくる。この役の女優さんに人気が出たのでキャラクターが定まっていったのだろうか。そんな過程を想像するのも面白い。

アーティーは歩けない車いすの男の子だ。頭は良いらしい。立ち上がって踊るシーンがあるので、おそらくこの俳優さんは歩ける人だろう。日本のドラマでは車いすの男の子がいれば、その苦労なんかがお涙頂戴式に描かれるだろうに、グリーの中では普通の人だ。ただ、歩けないだけ。苦労も全員が車いす体験をすることによって共有するようになる、という話だ。もちろん、彼女だっている。ブリタニーの前は、ティナ。

ティナ、マイク、サム

ティナはアジア系の女の子だ。顔立ちから見ると、韓国系かな。シーズン1ではゴスなのだが、シーズン2ではちょっと控えめなメイクになり、シーズン1の後半にはわざとやっていた吃音もなくなる。ティナとアーティーはシーズン1を通じてずっと長かったけれど、シーズン2ではマイクとくっついてしまう。アーティーとの関係は「障害」を通じたものでしかなかったもの。自分を表現する方法がわからず、レイチェルとは逆に殻に閉じこもってしまう経験もおそらく多くの人があるだろう。

マイクはシーズン1ではほとんど台詞がなく、シーズン2でもあまり台詞がない。

サムは「口のお化け」といわれたりするけれど、かわいい。

カートとメルセデス

カートはフィンに恋をするのだが、シーズン2ではちゃんとボーイフレンドができる。実は、シーズン1の途中から徐々にカートが前に出てきて、シーズン2ではとうとうカートが中心にくる。レイチェルとフィンがくっついたり離れたり、というのは物語の横軸の一つにしかならなくなってしまう。アメリカドラマでは人生の苦悩も描くのだが、カートの場合は相手が見つけられないのではないかという不安であったり、ゲイであることによる差別を描くのだ。

カートに恋をするのがメルセデス。黒人のディーバなのだが、レイチェルにリードを奪われてばかりいる不満がある。レイチェル自身にも「校内トップになれないつらさ」があれば、メルセデスはもっと卑近だ。校内カースト下位のグリー部内ですらトップになれないのだ。メルセデスの場合、レイチェルの自信過剰、自意識の過剰がないのだ。むしろ、自信がない。自信のなさ故に、レイチェルと競うことすらできないのだ。良い子ゆえに、といったところだろうか。

その他

シーズン1から出てくる不気味なおでぶちゃんのローレンは3部を掛け持ちらしい。まずはレスリング部。次は映画部。そして、グリーだ。ローレン、すごい。

歌って踊れることが前提だから、生徒役は全員十代というよりも30代が近いのではないかと思うくらい。それで割を食っているのが先生たち。特にエマが(シーズン1で)30歳というのには驚いた。私と同い年だけど、あんなに老けて見えるだろうか。

顧問のウィルが「グリー」の狂言回しだ。この高校でグリーが全国大会で優勝したときの部長だった。舞台に立ちたいのだけど、才能があってもチャンスがなかった、そんな人だ。30年生きていれば、そういう人を何人も思い出せる。現代ではカースト最下位のグリーだけど、当時はカースト上位だったのか、彼女のテリは学校一の美女だったらしい。

テリという妻がいてもウィルが心を引かれるのは赤毛のスクールカウンセラーのエマ。ところが、このエマさん、スクールカウンセラーなのに問題を抱えているという人だ。

グリー全体に立ちはだかる大きな壁、しかも理不尽な壁はスーだ。ほんっと、無茶苦茶。

スーとエマは完全にコメディロールなのだけど、大人は完璧じゃないこと、校内で大きな権限をもっていてもそれは客観的に、つまり校外から見れば大したことはないことがないことをよく描いている。特にシーズン1で州大会の審査員をするところで「わたしたちはセレブでこれが終わったらオハイオから出るけど、あなたは?」と馬鹿にされるのだが、権威など実際には大したことではないことをよく示す一言だった。とかく学校は理不尽だけどこれで救われた子もいるだろうと思った。

シーズン3

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ついに卒業シーズン。レイチェルたちの進路は果たして……!?

感想

老けた。
特にリア・ミシェルとコリー・モンティスは、十代というよりはむしろ三十代なのだ。クリス・コルファーの美声はパワーがなく聞こえる。

フィンとレイチェル

この二人が主役だったはずなのに、すっかり影が薄い。二人は結婚しようとするのだが、というのが話の軸の一つだ。ラストのフィンの選択にフィンの愛の深さを思う。そしてそこからのレイチェルの歌なのだが、この人は確かに歌はうまい。ただし、ソプラノ歌手が熱唱しているときにアップで見てはいけない。それに反してレイチェルが思い入れたっぷりに「熱唱」してしまうのだが、なんだか笑ってしまった。

ブリタニーとサンタナ

ブリタニーは相変わらず頭空っぽ。それでも生徒会長になる。

シーズン2がゲイであることによるカートの外的な悩みでスタートして、サンタナの同性愛への目覚めによる動揺で終わった。シーズン3の一つの切り口はサンタナの苦悩だ。カートはゲイであることを父親に受け入れてもらったが、サンタナはおばあちゃんに拒絶された。また、スーの議員選挙に際してはレズビアンであるサンタナをチアのリーダーにしていることが攻撃材料となった。

グリーの世界であっても、同性愛は決して受け入れられるとは限らないのだ。

また、サンタナは今回ひどく攻撃的でもある。レズビアンであることを受け入れられないフラストレーションがたまっているようだ。シーズン1と2が、いじめはあったが、あり得ないほどゲイフレンドリーだった反動のように描かれていた。

アーティ

アーティは演出家としての才能を目覚めさせる。鬼演出家なのだが。

メルセデスとサム

シーズン2とシーズン3の間の夏休みにつきあっていた二人だが、サムの引っ越しで別れてしまう。メルセデスは別の男とつきあい始めたが、帰ってきたサムはメルセデスに未練たらたら。メルセデスもサムが気になってしょうがない。

くっついたりはなれたり、というのはシーズン2ではレイチェルとフィンだったが、シーズン3ではこの二人。サムも老けたね。

マイク・ティナ

フィンチェル以上に安定していたのがマイクとティナ。この二人で描いたのはアジア系の学生の抑圧だろうか。

「中国の私の祖母が唯一知っている大学、それがハーバード。ハーバードでなければ意味がない」という台詞が象徴するように、特に中華系はアメリカでもいわゆるアイビーリーグを極端に好む傾向がある。2012年のことではなかっただろうか。タイガー・マムという本が物議をかもしたのだ。中華系のママの書いた育児書のようだ。
ただ、成績のいいマイクとして描くのではなく、次回以降のシーズンでは成績が悪くて荒れるアジア系の話も出てきそうだと思う。

カート・ブレイン

愛する相手を失うのではないだろうか、という恐怖。愛する人に自分よりももっと良い人が現れたとしたら、という不安。愛する人が自分の住んでいるところから離れていき、それを喜々として語る、という恐れ。だが、シーズン2ほどの掘り下げが足りないかも、と思った。まあ、仕方がない。ところで、カートは卒業後どうなるのだろうか。

そういえばカロフスキー絡みでゲイへの風当たりの強さが語られていた。

パック

衝動的なパックは今回は控えめだ。むしろクインの暴走に振り回されるほどだ。

クイン

さて、クイン。

正直、一番嫌いなキャラクターがこの人だといっても他言ではない。アイライナーが控えめになり、つけまつげもしなくなったのではないかと思うのだが、登場シーンのぶっ壊れ方は良かった。

一番笑ったのはスーの反グリーキャンペーンビデオの”Quinn Fabray is a victim of Glee”(クイン・ファブレーはグリーの犠牲者)というところだろうか。

相変わらず自己中心的で鼻持ちならない。事故だってあんな運転する方が悪い。それでもめげないクインはさすがだとは思うが、やり過ぎだろう。高校時代に味わう挫折をクインで表現できたと思うのだが、しなかったのはなぜだろう。あまりに後味が悪くなるから?

シーズン4

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向上心のある高校生が高校生活で巻き起こる厳しい現実から逃避するためにグリークラブに入部し、そこで彼らの強さ、人として受け入れられる気持ち、そして彼らの声を見つけだすというミュージカル・コメディー。“誰が次のレイチェルになるのか”で競争するニュー・ディレクションのメンバー。一方で、高校を卒業したレイチェルはNYADAの厳しいダンス講師相手に奮闘する。

感想

ニューヨークの回はロケ地がちらほらわかるのが楽しい。

舞台が学校である以上、メンバーの入れ替わりは仕方がない。レイチェルたち卒業してしまったオリジナルキャストと在校生の物語と、どっちつかずになってしまったのが残念である。

全国大会で優勝して、負け犬から逆転できたニューディレクションズ。しかし、高校時代が彼らのピークだったらしい。充実した大学生活を送っていれば、高校に、しかもオハイオのど田舎の高校にしょっちゅう戻ることはない。クインのようにほぼフェイドアウトする以外にないのだ。

もしくはレイチェルとカートのように「ここはホームではない」と思うか。どうも中途半端だと思ったのはそこだ。クインのみならず、メルセデスとマイク、クイン、パックはこんなにも出演すべきではなかった。サンタナは放浪しそうだし。クインはニューヨークのレイチェルの発表会に行く、とか。パックはジェイクとの絡みで出てくる、とか。指導にあたることになるフィンは仕方ないにせよ、マイクはダンスで勝負すべきだったし、メルセデスのパートではきちんと挫折を描くべきだった。

さて、新メンバー。これも問題山積みだ。いろんな意味で。

貧しいマーリーにジェイクを奪われたキティの図式は、ださいレイチェルにフィンを取られたクインの図式そのままではないか。カートがフィンに恋したのも、女装子のユニークとライダーそっくりで。メルセデスとユニークの区別がなかなかつかない。「太った黒人」は必ずしも必要なかったのではないだろうか。フィンとパックの関係はジェイクとライダーの関係に置き換わられた。

確かに、キティによってマーリーは摂食障害に陥らされた。校内で銃声が鳴り響く。学校は安全な場所ではない。

ユニークは性同一性障害。どうしてこれらをきちんと掘り下げないのだろう。それは、あくまでも主役がレイチェルのままだからだ。教師のウィルを狂言回しに高校を描くならば、きちんと在校生を描くべきなのだ。新しい血には新しい物語が欲しい。

そうではないなら、卒業生の物語を掘り下げるべきだ。
もともと、主演はレイチェルだ。卒業生の物語でもいいじゃない。

がんばるレイチェルがコテンパンに叩きのめされる物語だっていい。カートが音楽以外の道に進んだっていい。メルセデスは将来どうするのだ。アーティスト?笑わせるんじゃない。ただ全国大会で勝っただけだ。もちろん、演じている人たちは歌わずには生きていけない人たちだし、才能に溢れた人たちだ。しかし、才能があって、歌わずには生きていけない人たちでも、全員がアーティストになるわけではない。

あのベッキーだってもうほとんど出てこない。

一番面白かったのは、シーズン2かなーと思う。もう、惰性。

シーズン5 フィン追悼まで

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全国大会2連覇に向けて、グリー部はさらに練習を強化していくように。ニューヨークに渡ったレイチェルやカートを始めとする卒業生たちも、夢に向かってより一層突き進む。そんな中、学校を去っていたスー先生は、なんと校長として職場復帰!?

感想

さらば、フィン・ハドソン。
3話目を見た。これで目的を果たした。6話まで見たが、もうそれでいい。

マーリーとジェイク、ライダーの関係は、レイチェルとフィン、そしてレイチェルがたまにつきあった他の男たちの関係の焼き回しだ。ユニークできちんと性同一性障害を取り上げるのかと思ったが、そういうわけでもない。

ベッキーだけは書いておこうか。
ベッキーはダウン症だ。それでも、ベッキーには進学先がある。進学したければ、症状が軽ければ、の条件付きかもしれないが。
日本にはそういう大学があるのだろうか。筑波技術大学があるが、そこに通える人はどれだけいるのだろうか。それがアメリカの偉大なところだと思う。

そうだった。レイチェルの舞台の共演者になんとヨアン・グリフィズ!

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感想

オープニングのDon’t Stop Believe’in だけでもう涙が出そうだ。

楽しそうなフィン。隣にはもちろんレイチェルだ。小さな体ですごい声量なのだ。リー・ミッチェルという人は。コリー・モンテースなしで、グリーなしで、この人はこの先を生きていかねばならない。グリーはフィンとレイチェルの物語であり、コリーとリーの物語でもあった。時に二重に現実と物語が交差した。

現実と物語が交差するのはダウン症のベッキー部分でもそうだった。
現実に小人症の少女がチアリーダーとしてボールのようにぽーんと飛び上がる。プロムクイーンの候補にもなる。しかもクイーンになる。堂々としている。日本だったらどうだろう。よちよちと歩く小人症の男性や女性はいる。自信がなさそうに、楽しくなさそうに。からかわれてきたのだろう。そりゃ、アメリカでは小人症の人を差別することは、ダウン症の人を差別するのと同じで唾棄されることであろう。しかし、日本ではあんなに楽しそうに生きられる人は少ないだろう。アメリカは完璧ではない。でも、障害者差別の点においては日本の百歩は先にいる。

ゲイ・ボーイの日々。カートとサンタナだ。セクシュアル・マイノリティに優しいのがグリーだった。I am going this way. Born this way.良い意味の開き直りを許すのがグリーだった。クイーンのカバーが一番似合うのがグリーだった。

フィンが見ていられないので、シーズン4に手が伸びないのである。フィンは、もういない。でも、「フィン」を楽しむことがコリーのためなのだろう。RIPコリー。RIPフィン・ハドソン。

それにしてもブリタニーは軽やかに踊るなあ。あれほど体が動かせたらどれだけ楽しいだろう。

RIP フィン。RIP コリー

グリーで一番好きな男子はやっぱりフィンでした。2013年。そのフィン・ハドソンを演じたコリー・モンティスが急死しました。31歳。実は、私と同い年です。

私はフィンのことを

フィンは極めて「アメリカ的な男の子」だ。背が高く、アメフトの選手で「リーダー」として振る舞うことを求められる、そんな男の子だ。

と書きました。「シーズン3」では

ただ、ラストのフィンの選択にフィンの愛の深さを思う。

と書きました。それはやっぱり変わりません。

マチズモ

私の知る限りですが、アメリカ人、特に中西部では男の子に「たくましくあれ、強くあれ、涙を見せるな」と育てます。特に男の子が泣いていると「元気を出せ」というときに「Look up」と言います。深い意味はないでしょう。でもいつも私は「涙を見せるな、上を向いて涙を落とすな」と言っているように感じるのです。

フィンはたくましく、フットボールの選手でした。日本の高校では花形は何部でしょうか。野球部なのかな。うちの高校は県内トップの進学校だったので運動部はよわよわでした。それでも夏の大会には応援団が出たり、吹奏楽が演奏しにいきます。このときだけなんですけどね。アメリカの高校でそれに等しい扱いを受けるのがアメフトです。だから、シーズン1でパックが大いばりだし、シーズン3で自殺未遂をおこす隠れゲイがシーズン2で威張り散らすのです。フィンはそこのリーダー格でもありました。虐められっこのグリーの対極です。だからこそ、シュー先生はフィンをグリーに入れれば日陰者のグリーの連中も少しは日が当たるかな、とフィンをグリーに入れる罠にかけるのです。

リーダーであれ

もはや呪詛に近いのではないかと思うほどアメリカでは「リーダーであれ」と教えます。フィンは実際にリーダーです。だからこそ、行動で模範を示さねばなりません。だからベッキーのような障害のある女の子のことを「あの子は友達だ」と言います(シーズン2)。さらに、別の高校のライバルでもあった選手が障害を負うとそこに足しげくお見舞いにいってやります。

新しいマチズモ

グリーの新しさ、ラディカルさは舞台が敬虔な中西部でこんなフィンのような男の子がゲイ(同性愛は聖書で禁じられている)でちょっとなよなよしたカートと義兄弟になり、レディガガの格好をする話以降は徐々にカートを守るような行動をとり始めることです。グリーは明らかに革新的なドラマです。けれど、その中でヘテロだけどゲイに理解のある「新しい男」(シーズン2)、新しいマチズモを「フィン・ハドソン」という像で描いていたのです。

フィンという少年個人について話すと、「リーダー」であってもフィンの家庭は決して恵まれたものではありません。母の愛を一身に受けても、父がいません。妊娠中に父は亡くなっています。経済的に困窮していました。学校ではリーダーのフィンは家では母を支える良い息子でもありました。まさに「あるべきアメリカの息子」でした。フィンの母の再婚により、経済的に豊かになった上に父親っぽいものを得ます。けれど苦悩は続きます。母は父について英雄だった、と教えて育てましたが、実は父は薬物中毒になった末に死んだことを聞かされ、フィンはシーズン3で進路を迷いはじめます。さらに進路だけではなく、レイチェルについても悩みます。レイチェルと結婚したいが、手放してやらねばレイチェルは羽ばたけない。レイチェルを愛する故にレイチェルと別れ、一人軍に入ります。

コリー・モンティスという俳優は決して演技達者ではありません。歌声も図体に似合わず細い。運動神経は悪くなさそうなのに、踊れないし。シーズン3では「影が薄くなってしまった」とも思いました。それでも、「フィン・ハドソン」という人物他の俳優が演じていたら、とは思えないほどぴったりと一つになっていたと思います。もちろん、コリーという人を知って脚本家がどんどん宛書きしていったのでしょうけれど。

リア・ミッシェル

そのコリーの歌はやはり、「レイチェル」ことリア・ミッシェルなしには聞けません。リアの力強い歌声とフィンの繊細な歌声と。サントラはシーンを思い出しながら聞くことになるので3割ましに聞いてしまいます。

シーズン1のDon’t Stop Believin’, シーズン2の全国大会でキスしてしまうPretending。

RIPコリー。RIPフィン。

ベッキー

グリーで最も革新的だったのは、おそらく、ベッキー。

グリーに関してはいろいろ語れるのだが、その一つが障害者問題だ。

メインキャストの一人のアーティは車椅子だ。けれど、アーティはそれに甘んじない。もともと頭がいいキャラクターだし、いずれ書くが、シーズン3では演出も手がけるようになる。

もう一つがダウン症。

自身もダウン症のローレン・ポッターが演じるベッキーの描き方が、革新的なのは、「普通の人」と同じ描き方をしたことだ。

スーの姉もダウン症だ。

障害者が出演するドラマ

日本では乙武洋匡さん以外に、明らかな障害を持った方が映画やテレビドラマに出てくるだろうか。しかも、障害にフィチャーしたものではないドラマで、明らかに視聴率を狙っていくタイプのドラマだ。もちろん身体障害の乙武さんとダウン症(精神障害になるのかな)は全く違うのだから単純に比較することはできない。

障害者が出てくると美談にされがちなのだが、グリーではそんなことはない。スーは姉のために虐められた(だから強くなった、と言っていたが)。スーの異常な人格形成の背後に母のこともあり、ベッキーと同じダウン症の姉のこともあることが推測できる。ベッキーはスーの腰巾着としてグリーを虐める加担をする。それが現実だ。障害があろうがなかろうが、普通の人と同じなのだ。

日本でも早くこういう障害者の描き方ができるようになると良いと思う。

(追記;「狂舞派」という香港映画に本当に身体障害を持ったキャストが出ている。ただ、障害者ものの映画でも「身体障害」にフィーチャーしたのではなく、「踊らずにはいられない」人たちの物語である。青春コメディもの、リアルな香港を描いた作品としても良くできていている作品なので機会があれば是非ご覧になって頂きたい。)

 ベッキー

グリーの中で、ベッキー本人の人格の描写まではない。差別も同性愛差別や、身体障害者差別は描かれるが、ベッキーに対する差別はほとんど描くことはない。一つあったのは、フィンがカートに拒絶感を示すシーンで、それにカートの父がフィンをしかるシーンがある。「お前は俺とは違い、新しい男(ゲイに理解があること)だと思っていた。お前はあのチアの子に対してもそんなことを言うのか?」「ベッキーですか?まさか。ベッキーは友達だ」という会話があった。

私の親友は障害児の母だし、アメリカでお世話になった方も障害児の親だ。それぞれレベルは違うが、そういう方々と親しく接してきて体感的に比較してみると、アメリカと日本は様子がずいぶん違う。私の知る限り、アメリカではベッキーのような人に対する差別は最も唾棄すべきものだ。だから、登場人物が多い中でベッキーへの差別をわざわざ描く必要はない。ベッキーは「禁じられた同性愛」のような社会的な対立を生むこともなく、人種問題でもない。どのような層からもベッキーのような人への差別者は指弾される存在だ。日本とはずいぶんと次元が違う。

グリーで描くならばむしろ、「手を差し伸べられる立場」が自発的に何かをしようとする姿を描くだろう。私にも意志があって、こういうことをしたい、チャレンジしたい、という。だからグリーに入ろうとしたり、チアに入ろうとした。これがアメリカ。

シーズン3かな、4かな。
クインが言ったのだと思うのだが、ベッキーはどうもヤリマンらしい。そういう描き方も面白いと思う。ヤリマンキャラだったサンタナもブリタニーもレズビアンになってしまっているし、レイチェル、ティナ、メルセデス、クインをヤリマンキャラにしてしまうとキャラが崩壊するから、まあ、仕方がない。

ベッキーはアーティに恋をするが、アーティには相手にされない。

ベッキーの内心の語りが痛々しかった。「最高の女」「エリザベス女王のような喋り方をするのは」と一生懸命プライドを守ろうとする。打ちひしがれた人が一生懸命自分を守るために言い聞かせたり、「サンシャイン・クリーニング」のように自己暗示をかけようとするように、ベッキーも行動するのだ。ベッキーに困惑したアーティにスーがいうように「ベッキーだって普通の女の子なんだよ」。そう。ベッキーも普通の女の子なのだ。

結局、アーティはベッキーを相手にしないのだが、ベッキーはアーティに聞くのだ。
「障害のせい?」
ベッキーはきっと何度も同じ質問をしていたのではないかと思う。

ベッキーはなぜアーティを選んだのだろう。アーティは身体障害者だからだ。アーティなら受け入れてくれるのではないかと思ったのだろう。ちょうど、アーティとティナがかつて、車いすと吃音、という障害で結ばれていたように。

それでも、演出家として自信に満ちているアーティはベッキーに無言で答えるのだ。表立って障害を理由にすることはアーティにはできない。それは、アーティが障害者であるだけではない。アメリカで障害者差別は最も唾棄されるべきことだからだ。

さて、グリー。アメリカの、シットコムは綺麗な発音をしますよ。ぜひ、字幕で。

glee/グリー コンプリートDVD-BOX

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