中国合伙人 (アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ)

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2013年

感想

これはディスクを香港か台北で買ってきた。

監督は、ピーター・チャン(陳可辛)。

凄い物を見た。
中国人の(良い意味での)上昇志向と、自由への渇望。

ださいまでの上昇志向

特に孟のところだ。工場で取り締まられかけたところで、孟が賄賂を渡すのを嫌がったシーン。「中国なんだ。アメリカじゃない」そういわれて、諦め続けた孟が一つまた諦めなければならなかったところの感じ。
アメリカにおける中国人の地位の低さ。
そうだ。なめられ続けた人たちの、強い上昇志向なのだ。他人の足をなめなければならなかった我ら。しかし、世界を我らが足下に屈服させようという、上昇志向なのだ。

それを、現代日本にいる私は「ださい」と思う。許可を得てから建物を使えよ。許可を得てから教材を使えよ、と思う。それがビジネスとしては順当だ。しかし、彼らにはそんな暇はなかった。とにかく夢中で走り続けた。その結果の成長だ。

彼らはひょっとすると高度成長期の日本人にこれが近いのだろうか。60年代生まれ、70年代前半生まれはひょっとすると日本の団塊の世代に近いのかもしれない。

ださい八十后以前の人々

これまでお会いしてきた中国の方はみな上流の人たちだ。もしも私が中国に産まれていたら、お会いできたかわからない。私が日本人だから会えたのだろう。

それでも実は70年代生まれの中国人とは話が合わない。がつがつした卑しさというか、だささがあるのだ。しかし、80年代生まれ以降は違う。鷹揚さといい、のんびりした感じといい、だいぶ洗練されてきて(香港人よりははるかに洗練された趣味をしている人たち)「同じ匂い」がする人が少なくない。金遣いの荒さは日本のバブル世代に近いのだろうか。洗練されてきたが、ダサい人たちだ。

その「ださい」人たち。「ダサい」「田舎者」を人はみな蔑み、見下す。そこに隙が産まれた。それをついたのが成東青だった。

そうか。そうだったのか。私の中国理解が深まったかもしれない。日本で公開されないのが大変に残念だ。こういう時期だからこそ、本作は見られるべきなのに。

ソーシャル・ネットワークとの相違点

映画の手法としてはそっくりだったのが「ソーシャル・ネットワーク」。裁判に至る前の交渉からスタートしてくるところといい、友情が壊れるところといい。しかし、創業後10年しかないFacebookとは違い、これまでの30年を一気に描く。創業のほんの2年を描いた「ソーシャル・ネットワーク」よりもはるかに内容が充実していて、面白かった。逆に言えば、「ソーシャル・ネットワーク」は浅い企業だから二人の男の愛憎劇に終始するしかなかったのだろう。しかし、本作は急激な成長を遂げる中国の30年。主役は中国そのものと言って良かった。

天安門事件

気になるのは88年の北京の大学生、アメリカに、自由に強い憧れを持っていた大学生だったのに天安門事件に触れられないことだ。オール香港(と台湾に東南アジア)資本で香港の監督、そして大陸人俳優を一切使わなかったらどうなっただろう。触れただろう。そのかわり、中国では抹殺される。中国は大きな市場だ。それを失うわけにはいかない。表現者が触れられないタブー、それが天安門事件なのだ。こうしてみな天安門事件を忘れていく。なかったことにされてしまう。

それが、真正面から描いた「藍宇」との違いかな。

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