父親たちの星条旗
戦地の最前線。そこでは、恐怖すら超越した世界。銃弾と砲撃が絶えず飛び交う激戦地、硫黄島。第二次世界大戦の重大な転機となったこの歴史的な戦場で、70,000人の海兵隊員が命の限り戦った。若者たちは、確かにこのときを生きた兵士たちは国のために戦ったが、若者たちは友のために死んだのだ、
Flags of our fathers 2006年
感想
監督はクリント・イーストウッド。
「俳優」について語るような映画ではない。むしろ、「控えめな演出」の方だろう。
淡々と現在の年老いた「英雄」関係者、戦闘、そして国債購入キャンペーンの三つを切り替えながら進んでいく。時間軸が複数あったり、複数の視点を一つの映画の中に入れるような映画にたいしては、何がなんだかわからなくなる、というような方もおられるが、私は本作では非常に上手いと思った。特に、戦争の悲惨さを語る戦闘シーンでは誰が死んだかが事前にわかっているためによけいに悲惨さが際立った。
三つの視点は全て苦悩だった。
アメリカの戦争ものには二つ系統がある。アメリカ万歳、の単純化された勧善懲悪ものが一つ。もう一つは苦悩を描く。前者はあたる。他の国でどうかは別としても、アメリカではあたる。けれど、後者は戦闘シーンに金がかかるのにあまりあたらない。そりゃそうだ。苦悩なんて見たくないもの。すかっとしたいのだ。
クリント・イーストウッドはヒーローだ。ダークヒーローのダーティー・ハリーを含めてもヒーローだ。けれど、金だけかかるがあまりあたりそうにもない映画を作り、苦悩をきちんと描ききった。とても誠実な人だ。やっぱり、ヒーローだった。その人に「英雄はいない。」「国のために死ぬんじゃない。友のために死ぬのだ」と言われると、非常に説得力があった。
硫黄島からの手紙
2006年、硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。それは、61年前にこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか--。
Letters from Iwo Jima 2006年
感想
監督はクリント・イーストウッド。
日本語なのだが、なんとも聞き取りにくい。へ?と思うくらい。二宮和也はもともと朴訥とした喋り方をするので特に。中村獅童、渡辺謙も聞き取りにくいことも。加瀬亮は今回はちょっとうわずったような喋り方で、たまに声がひっくり返る。少しおびえたもと憲兵にはまっていた。井原剛志は比較的聞き取りやすかった。それは、イーストウッドが日本語を解しないからだろうか。こういうときには日本語字幕、と思うのだが、なんと、日本語字幕は英語の台詞にしかなかった。
リアルさ
自決シーンや火炎放射のリアルなこと。こういうことがずっと続いたのだろう。戦場でも。そして、沖縄でも。才能のある人々を無駄死にさせた。
捨て石にされた兵たち。死ねと言う上官。硫黄島が落ちればここから東京へ空襲できる。だからこそ「死守」なのだが、大本営は兵を送らない。艦隊を送らない。ここで死んだとしても無駄死ににすぎないのに。兵を、撤退するための船を送る代わりに、電波で歌を届けるだけだ。
この非効率的な構造は、今でも変わらないような気がする。
ところで、二宮和也は平気な顔をして「問題発言」を繰り返す。確かに上官に殴られたり殺されかけたりするのだけど。あの時代、あんなに喋れたものなのだろうか。
フェアな人
アメリカ人監督は日本軍に対して冷たい視線を送るが、アメリカ軍に対しても厳しい視線を送る。投降した日本兵はアメリカ軍に受け入れられたわけではない。投降したのに殺された者もいた。やはり、イーストウッドはフェアな人なのだ。
戦争は鬼畜の仕業である。