時は幕末、京の夜。会津藩士高坂新左衛門は暗闇に身を潜めていた。「長州藩士を討て」と家老じきじきの密命である。名乗り合い両者が刃を交えた刹那、落雷が轟いた。やがて眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。新左衛門は行く先々で騒ぎを起こしながら、守ろうとした江戸幕府がとうの昔に滅んだと知り愕然となる。一度は死を覚悟したものの心優しい人々に助けられ、少しずつ元気を取り戻していく。やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と刀を握り締め、新左衛門は磨き上げた剣の腕だけを頼りに「斬られ役」として生きていくため撮影所の門を叩くのであった。
2024年
感想
んんんんんん
面白くないわけではないんだけど、枝葉の問題が大き過ぎて。神は細部に宿るの。
会津弁はわからないからノーコメント。しかし、西日本の人間には、東北っぽく聞こえる。
ただ、長州弁がスタートから東京弁になってしまってる。なにゆうちょるんじゃ!タコ!と高杉先生が怒りそうですぜ?
現代になって長州者が東京弁になるのは良いとしよう。さて、次の問題。なぜに熊本藩士という設定になるのか。薩長土肥は、薩摩・長州・土佐・肥前。肥前は佐賀だーよ…。熊本は肥後。あんたがたどこさ、ひごさ、ひごどこさ、くまもとさ、くまもとどこさ、せんばさ、だよ…肥後熊本細川藩は維新に乗り遅れた。
だから、会津藩士と熊本藩士が斬り合う必要はない。だから、佐賀もんにしないと…肥前佐賀鍋島藩だってば。
でね、熊本弁にしろとは言わない。けど、なして九州弁にせんのかわからんとよ…
ゆうこ殿の関西弁もちょいとおかしな感じでありましたな…(長州弁とは、近世の軍隊語なので、ありますっ!)
チャンバラそのものは面白いんだから…そして、会津者がその後の会津のことを知って泣くのも、そりゃそうだよなあと思う。しかしねえ…
だから、神は細部に宿るんだってば。