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ブラックドッグ

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吹っかけられた喧嘩を買ったらしく、相手を殺してしまった男が出所した。行き先なんて……故郷しかない。しかし、かつて「地元では有名な」バンドのフロントマンだった男の故郷は寂れていた。移転が決まっていて、人はどんどん消えていく。いるのは犬。かつてマンションだったところに、野犬が入り込む。男は懸賞金がかけられた気性の荒い黒犬に噛まれた。結局その犬を捕まえるのだが……

という話。

狗阵 2024年

感想

最近の中国ドラマは、比較的脚本も練って、語り尽くし伏線も回収することが多くて。それに慣れてしまうと、映画の場面の飛び方に!?ってなってしまった。ストーリーテリングが異なるのよねえ。

「ああ、あそこの息子」「有名だったな。あんたのステージを見たことがあるよ」と、故郷の人は静かに受け入れる。そこに何かの事情があったのをみんなが知っているんだろう。しかし人が死んだのも確かで。死んだ男のおじは蛇肉で成功した肉屋なのだが、許そうとしない。

男は追いかけ回される黒犬に自分を重ねて引き取るのだが、「狂犬病」と言われる黒犬に噛まれていて、ワクチンなんか存在しない。数日間自宅に引きこもり、様子を見るだけだ。

それが、なんと舞台は2008年。

1908年ではなく、2008年。私は2008年の香港とマカオを知ってるのよ。その先の、中国まで行くのには少し時間がかかるけれど。

犬に噛まれて様子を見るというシーンでうわ…となってしまった。

実はもクソもなく、これは金浦空港行きの機内で見た映画で、その先、中国は西安に行くわけ。

「ゴビ砂漠よりも標高が高い」砂漠地帯のこの舞台は、おそらく西安からさらに西へ、「西域」と呼ばれたあたりに近いんでしょう。香港やマカオとは湿度だけではない、違い。

現代だってね、西安北ー華山北間の高鉄は、農村地帯を通るけれど、レンガで作ってるような家を見た。廃屋なのかどうなのかわからない。きちんと耕された畑があった。

でも、あのあたりの人たちは、高鉄がない時代でも西安まで出れば、狂犬病ワクチンを打ってもらえたのではないかと思うけれど。ここの舞台は、西安まで出ることすら容易ではない、「ポツンと集落(しかも移転中)」。

うわぁ、って。

農村部の写真がないわけではないけれど、出すつもりはない。個人的に人に見せることはあるかもしれないけれど、不特定多数に向けて公開することはない。

現代の西安は、街中「長恨歌テーマパーク」にでもしたいのかしらね、と思うような、品のない街だった。おばはんに田舎じみた一方通行の「おもてなし」までされて、とにかくdignityがないよ、dignityが。と思ったのだけど。

近代において、人間は誰しも良い生活を送る権利がある。幸福追求権です。

でね、自分よりも生活しにくそうなところに住んでいる人に向かって「開発されていないから、味があって良いね」みたいなことは言いたくない。

私はね、「値上がりしたねえ」と言いながらも、結局は衣食住足りた、健康ではないけれど文化的な生活を送ることができる、外国人観光客という安全地帯にいるわけ。奨学金はまだ返済中(あと少しでまた一つ返済が終わるよ!)だし、病気も抱えてるけど、単身で海外旅行できる人なので、経済的に恵まれてないとは言わない。

そういう立場なのね。お気楽な立場ですよ。

お気楽な立場から、(住んでいる本人がどう思っているかわからないけれど)衣食住の「住」部分に困難があるように見える、外国の人の暮らしを写す暴力性には気をつけたいと思う。

撮影行為に記録的側面があるのは確か。しかし、撮影してもネットにあげないという一線は、人間に対するレスペクトと言ってくれていい。

私が今の生活を送れるのは、私の才覚であり、能力であり、努力の結果です。でも、日本に生まれていなかったら?中国のこういう場所に生まれていたら?

ね。くじ引きなら一等ではない。二等でもないかもしれない。それでも、三等を引いてるんですよ。幸運と言える。

言い換えるならば、一等を引き当てたと言える、中東の大富豪あたりに、自分が建ててローンを返済中もしくはローンを完済した戸建て住宅を「ウサギ小屋かーわいい!」とか。マンションを「鷹小屋と思ったけど人が住んでるの、びっくり!何がびっくりって、一つ一つの区画が鷹小屋の区画よりもちっちゃいの!」と言われたくないでしょ?ということ。

フィクションの良さというものは、そういう現実に生きる人間への暴力性が軽減される所だな、と思いました。はい。だって、主演はお馴染みエディ・ポン。ヒロインめいたダンサーはトン・リーヤー。彼らこそ私に「あんたの家、ウサギ小屋かと思った」と言えるような人たちだもの。

映画に戻ると、その、40すぎたおじさんとおばさんが、30すぎくらいの役をやってるのだけど。それは仕方がないことかなと思う。

何しろ、日本人の目には二人とも年齢なりに見えるし。メイクしてもやっぱり30前後というよりも、40すぎにしか見えず、実年齢が役とかけ離れてない?と思ってしまう。それは私が二人を知ってるからかなあ…そうでもないと思うんだけど。

しかし、中国人ってそもそもすごく老けるのが早い。そして死ぬのも早い。(中国の高齢社会は、たぶん日本よりはてっぺんの年齢が低くなるのではないかと思うよ)

おそらく……舞台の過酷な場所を考えると、実年齢が30くらいの人が、日本人の目には45くらいに見えても変ではない。そうすると、実年齢が30歳くらいの人を持ってくると、違和感があるんでしょう。

西安のみならず、中国、といっても、都市部しかまともに行ってないのだけど。女の人でも顔に深い深いシワが刻まれててね。日本人には55くらいに見える人の、その肌のパーツパーツがね。私よりもはるかに弾力性がある上に、野生的なエネルギッシュなオーラを出してる人がたくさんいる。ボディラインなどを見ると、あ?30……くらい?というような人たち。

一方、俳優さんたちは撮影イベント撮影と過酷な生活の中でもメンテナンスしないとならないから必死にメンテナンスするし。そもそも肌の強さなど元々のものがあるし、メイクもするからでしょうね。日本人から見ても、演じていないときには、年齢に対して老けている印象の人は、主演級ではほぼいない。

そりゃ、40すぎたおじさんとおばさんをキャスティングすることになるねえ…と思いました。

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