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「君さえいれば 金枝玉葉」「ボクらはいつも恋してる! 金枝玉葉2」

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君さえいれば 金枝玉葉

人気歌手ローズ(カリーナ・ラウ)の熱狂的ファンのウィン(アニタ・ユン)は、彼女に近づくために男装してオーディションに参加、男として歌手デビューすることに。ローズの恋人で音楽プロデューサーのサム(レスリー・チャン)は、ウィンの飾らない魅力に参ってしまい、「自分はゲイなのか?」と思い悩む。ローズも素直なウィンに引かれ、不思議な三角関係に…。

原題:金枝玉葉 He’s a Woman, She’s a Man 1994年

感想

本作用に撮影されたポスターがレスリーの遺影になった。レスリーマラソンの最終盤に持ってきたのは、なかなか入手できなかったのもあるが、遺影に使われたのが本作のものだと気付いたからだ。正直、きつい。

さあ、行ってみよう。
オーディションシーンで男性がストリップしながら「愛慕」を歌ったり、男性にレスリーが迫られるシーンがあるがあっちもレスリーの曲?

本作は明らかな男装の麗人もの。しかし、徹底的に違うのはリアリズムの裏打ちがあることだろうか。

ローズ

ローズが気の毒とか、ローズが物分かりが良すぎるというのだが、そうだろうか。

ローズは男性に奔放だ。「結婚しているわけじゃないんだから誰と遊ぼうが勝手でしょ!」とサムに言い切る。それは全てサムの気をひくためだ。サムは嫉妬すらしない。ローズは自分が愛されているのか自信がないのだ。サムにとってはローズは「開かれたページ」と同じくらいわかりやすい。

なお、英語でOpen bookというと単純明快な人、秘密のない人のことをさす。サムは英語表現から「開かれたページ」と言ったのだが、ローズは英語がわからずサムは「誰だって読めるってことだよ」と続けたのだろう。そんなに悪い意味ではない。あの一言だけで二人の差が明快に示されるセリフだ。サムは「君が僕にヤキモチを焼かせようとしても無駄」と言ったのかな。

サムにとってはローズの愛は疑いようもなく、嫌がらせをされていらいら怒りはするが嫉妬しようがない。問題はむしろ、サムの愛は冷めてしまっているのに関係を続けているということだ。別れを切り出せないでいるサム、終わりを認めたくないローズ、この関係はリアルとしか言いようがない。

いや、ローズは知っているのだ。世間ではゴールデンカップルと言われるけれど、実際にはもう終わっているということを。だからこそ、「オルゴールの曲を最後まで聞かないの。止まっちゃったら全部終わりそうだから」というのだ。サムとウィンの関係をいぶかしく思うが、ウィンをいじめることはない。ウィンをいじめれば、サムをウィンに走らせることになってしまう。ラブコメの敵役にしては珍しくローズは極めて賢い人なのだ。ウィンが女だと知れば、プライドをかなぐり捨てウィンにすがる。「サムは私の全てなの」。まだ飛び立つ準備はできていない。サムにダメ出しをされて、ローズは腹をくくる。「自分が」別れを発表するのだ。オルゴールは止まってしまった。「自分で」別れを宣言し、飛び立とう。

ね、リアルでしょ。

そういえば、カリーナ&トニー夫妻ってば二人とも揃ってレスリーと肌を重ねてる!!(今回もレスリーは過剰すぎるラブシーンであった。ラブシーンだけはいただけない)

下の写真の右はロケ地のフリンジクラブ。2015年です。

ミニホテル

中にレストランがあって、ホテルが近いからこそ、微妙な時間で食べなかったけれど、ちらっと見ると本当にサムとウィンが出てきそうだった。

サム

本作においてウィンは「あいつはゲイに違いない」と好奇の視線を送られ、しょっちゅう「ゲイか」と聞かれた。ゲイにとって、「ゲイか」と聞かれるのは苦痛らしい。「そうだ」と答えて相手が安堵するとそれこそ苦痛なんだという。それほどまでに自分は異様なのかと不安になるらしい。奇妙な視線を送られるのもいたたまれまい。

女にとって「ゲイか」と聞くのは「ガードを緩めていいのか」と聞いているだけに過ぎないのだが。サムはウィンがゲイかと疑い、度々怯えた顔をする。普通に考えればゲイだからすぐに男を襲う、ということにはならないのだが、女が男に覚える緊張状態と同じものを覚えたのだろう。私も目の前で「ビアンだ」と言われて同じ顔をしない自信はない。

「花ざかりの君たちへ」で中津は「俺はゲイじゃねー」と叫び、最後には「俺はゲイだ!」と思い込む。その過程はコミカルだが、本作ではサムは思い悩み、そういう自分を受け入れて、ローズとの関係を終わらせる。「気づいてしまった」人の苦悩なのだろう。最後に「女です」と言われても一度崩れて構築し直されたサムのアイデンティティは元には戻らなかった。普通の物語なら「よかった!お前は女なの!」となるだろう。本作を見てそう感じた。実際にアイデンティティが崩された人はそう言えるものなのだろうか。「男だろうが女だろうが、君を愛している」。恋愛の本質は「君を愛している」それだけだ。全てをそぎ落としてしまい、そこに至ってしまったのだろう。

サムの辿った過程は自分がヘテロであることを疑ったことのない私には想像もつかなかったほどリアルに迫った。ひょっとすると、これこそ、「レスリー・チャン」という人の辿った道程だったのかもしれない。

香港

香港女子は「金枝玉葉」は面白いけど微妙、と言っていた。わからないでもない。あの子には前衛的すぎるのだろう。「レスリーは素敵だった。カミングアウトする前はね」とも言う人だ。

歩いていて白人男性二人がそれぞれ乳児を抱いていたことがあった。片方の乳児がわんわん泣いていて、泣かれている男性が一生懸命あやしている。それにもう一人が「うるさいぞ、早く黙らせろ」としつこく、それこそ異常なくらい言うのだ。「あれはゲイか?」女子の彼氏が女子に聞いたらしい。「彼がね、あの二人はゲイかって言ってる」「そうだと思う」「えーんえーん。ママが欲しいの。だめだめ。パパたちはママたちを奪ったの」二人の赤ん坊の架空の会話までして遊ぶ。私が笑わなかったと言えば嘘になる。それでも、本作を見ているとあれを思い出し、後味が悪い。

そこなのだ。レスリー没後10年過ぎている。本作からは20年が過ぎているのだ。それでも、香港はこうなのだ。レスリーの悲劇はそういう香港から離れることができなかったことだろうか。

ユーロウ

ウィンの背中を押すユーロウは本心ではウィンが好きだ。「小学生の頃からお前の一番のファンだもの」
良いやつだよ、本当に。でも、こんな男、いるかいな・・・「非実在人物」の極みである二番手君を愛してやまない私ですら、そう思ってしまうのがユーロウだった。

「ウィン」の不自然さ

リアリズムを欠くと思ったのは、ウィンのローズに対する気持ちだ。女性歌手に熱烈になったことはない。それでもエイミー・アダムズになっておぼこく笑ってみたいとか、エヴァ・グリーンの妖艶さが欲しいとか、バービィ・スーのまっすぐさとか憧れる。「なりたい」のであって、男性に憧れるのとは全く違う感情だ。ところが、ウィンはローズになりたいわけではない。ローズとお近づきになれればいいと思うのだ。ウィンこそひょっとして両刀?

ようやく配信されることがある模様。香港でも広東語版のDVDは見つけられなかったの。VCDならありそうだったけど、店がなくなっていく世界だから。台北では国語(=つまり台湾華語。台湾式マンダリンよ)吹き替え版ならDVDがあった。

実はAmazonマケプレですごい額になってるのだけど、この額で買って、見て、そのまま同じ額で売った。マケプレ(小口販売者)の手数料はDVDは15%で、配送料は別に受け取るからクリックポストを使えば多少浮くけれど、この額で手数料15%取られるので雀の涙だったんだよ。計算すればわかるけど、Amazonに定価分くらいは取られたんだ。

たまーに配信されることがある。

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ボクらはいつも恋してる! 金枝玉葉2

ようやく同棲生活を始めることになったサムとウィン。しかし、サムは互いの生活のリズムが全く違うことに次第に苛立ち始める。

原題:金枝玉葉2 Who’s the Woman, Who’s the Man? 1996年

感想

あら。良いじゃない、これ。続編としてはすごくいい出来。ただ、前作以上にドタバタしてるし、表面上は前作の立場を入れ替えて同じことをしているだけに見える。それでは持たないのでフォンのアシスタントは明らかなレズビアンでユーロウはその女の子に恋してしまう話を入れただけのように見える。

しかし、本作は明らかなセクシュアルマイノリティ映画だった。名前で気付くべきだった。「ウィン」。チョン・グォウィン。カタカナで書くとこれが近くなる人が一人いるではないか。彼は散々「ウィン」という名前の役を演じてきた。そう、張國榮。レスリーその人だ。

「ブエノスアイレス」も「情熱の嵐」もストーリー上同性愛者である必要は必ずしもない。男女間で成立してしまう。しかし、「金枝玉葉」シリーズは「セクシュアルマイノリティ」でなければ成立しない。確かに前作は男装の麗人ものだ。サムが「俺はゲイなの?」と思い悩むのが笑える。しかしサムに限ればキモは「男であるウィンを愛する自己を受け入れる」ところだった。それはラストシーンで表明されるだけだから、セクマイものだということにスルーしてしまいかねない。

「金枝玉葉」でウィンはバイなのでは?と思ったけれど、やはりそうだった。本作では明らかにウィンはバイセクシュアルだと描かれる。自覚しているかどうかはわからないがウィンは女も好きになれる。前回はローズに女が女に憧れる以上の感情を抱いていたし、今回ははっきりとフォンとサムを同じ土俵上に乗せて悩んでいた。「私が男だったらサムと私、どっちを選ぶ?」とフォンは聞き、ウィンは答えられない。そりゃそうだ。この人の思考では恋愛対象は性別で限定されないのだから、そういう選択を求められても困る。

ウィンがフォンと自分を比べ始めたことに気づいたサムは焦る。そりゃそうだ。サムは一度「男であるウィンを愛する自分を受け入れ」た。ならば、フォンは?「女であるウィンを愛する自分を受け入れ」ないとは限らない。フォンがウィンを受け入れると腹を括ったら、自分とウィンは終わってしまう。

ただ、よくわからなかったのはフォンだった。フォンはウィンが女であっても受け入れる。それでも、ウィンを奪い去ろうとはしない。それは、ウィンに恋してしまったのはウィンが一途にサムを愛するからであって、サムから自分に移ればウィンは浮気者になってしまう。そういうウィンでは物足りないのだろう。(というよりも、興行上レスリーが振られてはならず、アニタ・ムイはどこかで退場しなければならないのかもしれない)

セクマイものにありがちなのは同性愛至上で異性愛を否定することだ。「情熱の嵐」ではハントンはラン・ユーを振って結婚してしまうが離婚してラン・ユーに救われる。しかし、バイセクシュアルの場合、選択する相手は必ずしも同性でなければならないわけではなく、「生涯の伴侶」は異性であるかもしれない。

今のところ私は自分がヘテロであることに疑いはない。ただ、前作のサムのように「気づいていない」だけなのかもしれない。いや、やっぱり男の方が好きだぞ。それでも細かく分類してしまえば、みなセクマイなのかもしれない。

本作のメッセージは、レスリーの一言につきる。「愛は愛だ」
これは「あなたとウィンに感謝しているんです。二人が同性愛を公表してくれたおかげで僕たちは生きる希望を得たんです」と塗装屋に言われてからのものだった。

本作公開は1996年。歌手としても絶頂期のレスリーは年越しコンサートを開く。

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この中でレスリーは「好朋友」を紹介する。

レスリーは腹をくくったのだろう。面白おかしく書き立てられることも分かっているだろう。覚悟を決めていても実際に起こるとダメージは大きいだろうけど。彼のメッセージはコンサートの前にすでに出ている。「愛は愛だ」どうでもいいのだ。同性愛か異性愛かだなんて。

話は変わるが、レスリーの曲の中で一番か二番に好きなのは「有心人」。作中ではエレベーターでパニックになったフォンをサムがウィン式に慰め、その後でフォンのためにサムが作曲する。その楽譜を見ながら歌うのはアニタ・ムイ。レスリーの「有心人」も素敵なのだが、アニタの歌う「有心人」もなかなか。

アニタが歌うものはレスリー没後のアニタの最後のコンサートでイーソン・チャンとデュエットしていたものをユーチューブで見つけただけなのだけど。ないのかなあ。

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